皆様、ごきげんよう。
今日の関連記事
上の関連記事でも触れているPRADAのナイロンバッグ。
スマホとキーケースで満杯になる、このバッグ。
非常に気に入っており、毎日一緒です。
太郎を抱っこすると、
太郎の泥だらけの靴がちょうどこのバッグに当たる位置に来ます。
でもガシガシ使えるバッグなので全然気になりません。
雨の日も傘もささないままガシガシ使っています。
私の生活を支える、良き相棒のうちの一つです。
関連記事内で書いていますが
元々私は、
PRADA=日本の女子大生が持っているイメージ
つまり、ちょっと幼いようなイメージだったんですよね。
でも、ここウィンブルドンで
スタイリッシュにPRADAを持つ40代〜50代のマダムと出会うことが多く
彼女たちを見て
『あー、PRADAってこうやって持つんだなぁ…!』と気づき
そしてPRADAナイロンがどれだけ今の私の生活に適しているのか気が付いたのでした。
で、今回は
なぜ私が
PRADA=日本の女子大生が持っているイメージ
というように
PRADAにあまり好ましくないイメージを持っていたかを分析してみました。
なぜ日本の女子大生にはあんなにPRADAが似合わなくて
なぜwimbledonのマダムにはあんなにPRADAが馴染むのか??
答えは簡単でした。
日本の女子大生にあんなにPRADAが似合わないのは
(女子大生以上の年齢の人でも似合わない人はいますが)
彼女たちが勝手にPRADAに負けている、からでした。
勝手にPRADAに負ける、とは
勝手に
マインドの世界で PRADAを自分より上に置いている、
ということです。
その人の世界をPRADAに乗っ取らせているというか。
勝手にPRADAを崇め、勝手に負けて
勝手に外側の世界と競っています。
本当は競争なんてないのに。
※勝手にブランド品に負けている、というのは
彼女たちに限らず、以前の私もそうでしたので
彼女たちの気持ちは実は私がよく分かります。
だからあんなにPRADAが似合わない。
PRADAを持っている、のはではなく
『PRADAに持たれている』んだよね。
これが無理している感。
無理してる感を感じる人は
ロンドンの有名デパートHarodsや
銀座なんかに行けばたくさんいます。
この間、すごく顔色が悪く髪がボサボサで具合の悪そうに見えるくらい不機嫌そうな顔をしたアジア人を見かけたのですが
彼女はもう、雰囲気だけでなんか
チグハグ。
ん?と思って観察したら
CHANELのバッグにBARENCIAGA の靴に
これまたBARENCIAGA のジャケットに
サンローランのパーカーに
モンクレールのショッパーetc…
もう、とにかく、似合ってない。
それを見た私は
『イイ加減にせんかーい!!!』とチャブ台をひっくり返したくなる衝動に駆られたんですよ 笑
で、よくよくその衝動を分析してみたら
『勝手にハイブランドに負けてる感』(自作自演)
そうして
『勝手に外側の世界と競っている感』
これらが私には非常に違和感だったのだな、と気づきました。
*
ここまで分析してスッキリしたので
これからは爆買いしているチグハグな人が近くにいても
もうあまり視界に入って来なそうです。
1年ほど前に、ドルガバの創設者が中国人を批判したということで
『中国人差別』と批判されていましたね。
■『中国差別動画』で締め出されたドルチェ&ガッバーナの哀しき未来
でもさ、その商品の本質も見ずに
つまり心の底から『かわいい♡』と思わずに
商品をただただ爆買いして
全部と競うためだけに
ドルガバを身につけていたら
そりゃ創設者は不愉快だろうなーと
私はドルガバに共感します。
自分が愛を込めて創ったものが
その真意も受け取られずに粗末に扱われるのは
アーティスト側からしたら哀しいものではないか、と想像します。
話を戻しますが
私がWimbledonで見かけた
PRADAを持つマダムに惹かれたのは
彼女たちがPRADAと競っていないから。
PRADAに勝手に負けていないし
外側の世界に対して臨戦体制じゃないからだ、
そのバッグ、そのものを愛ているからだ、と。
だからあんなに馴染んでいるのだ。と。
はっきり言語化されました。
スッキリ。
スーパーブランドって
気合いを入れて身に付けるものでもないし
敷居を高くする必要もない。
ワタシの感性に
『ズキュン』と来るか来ないか、それだけ。
スーパーブランドもZARAもユニクロも全部同じ。
(ZARA大好き)
競うための道具としてブランド品を身に付ける生き方もあるけれど
マインドのチグハグは外見に現れます。
ワタシはチグハグじゃなくて
ちゃんとワタシに馴染むものを持つ。
改めてそう感じたのでした。
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