まず、こちらはお読みいただけただろうか。
さて、これらの記事を書いた後
なんだか釈然としない気持ちでいた。
母とは距離をおこう。
そういう結論を出したはずだが
なんか胸のあたりがざわざわするような寂しいようなそんあ体感があった。
これは私の正解ではないんだ、、と思っていた。
そんな時、今私が最も信頼して尊敬する人にこう言われた。
『お母さんの嫌なところは自分も持っているところ』
『ゆきさんの細胞の半分はお母さんでできている。
お母さんを否定することは自分の半分を否定すること』
それを聞いて、今まで意地を張っていた自分がサーッと溶けるような体感があった。
うちの母はせっかちで周りのことが見えてなくて自分本位、と私は感じていた。
だけど私は結婚生活の5年間で夫に同じようなことをしていた。
せっかちで夫をいつも急かし、自分のペースを押しつけ
彼を巻き込もう取り込もうと必死だった。
母が私にしたことは
私が夫にしたことだった。
そして…
(これは認めたくない気持ちもあったが)
あんなに『母は何もしてくれない!役立たず!口ばっかり!』と思っていたが、これこそまさに私が母に自分の理想と自分のペースを押し付けていた。
母にまるでカリスマベビーシッターのような働きを勝手に期待して、それができない母をこき下ろしていた。
自分本位なのは私だった。
母は私の理想通りの働きをしないだけであり、それは悪いことでもないし
冷静に見ると母は私たちにほぼ毎日のように料理を届けてくれたり
毎日保育園の送迎をしてくれている。
ちょっと前まで私は
料理を届けることや保育園の送迎は当たり前!!
だって私がこんなに大変な時期なんだから!!
と被害者ぶって、母を責めていた。
この被害者ぶって相手を責めるのも母が持っている要素であり
私の一部だった…!!!
私は一連の出来事を通して
『私と関わる人になるべく気持ちいい思いをしてもらおう』
と思ったし
『思いやりとは何か?』を考えたし
それはつまり今までの私自身が思いやりが欠如した人間だった。
特に夫に対して。
私は完全に思いやりのない妻であった。
ここまで気付くと夫に対して
『今までよくこんな私に歩み寄ってくれたな』と感謝でいっぱいだし
反省することがたっくさん、ある。
子供に対しても
自分のペースに巻き込むことに必死で彼らの気持ちを蔑ろにしていた自分に気づく。
だからと言って、
じゃあ今後夫と離婚せずに婚姻関係を続けようか?となると
それは今の段階でもやはり『NO』なのだけれど。
自分本位で自己中な自分であることを
今までの私は『それが私だし♪』と、
サバサバと自己中を混同していい気になっていたんだ。
それに私は母に感謝を伝えていなかった。
ご飯を作ってくれてありがとう。
太郎と二郎の好物を運んでくれてありがとう。
そんなこと思ってもなかったし
だから伝えることもなかった。
でも、母の立場になるとどうだろう…?
娘が感謝の気持ちも持たずに
『私今こんなに大変だからあなたが協力して当たり前なんだからね!
感謝なんてしませーん』
という態度だったら
そりゃ嫌な気になるだろう。
要は甘えていたのだ。
私は完全にお子ちゃまだったし
そんな自分が悪いとかダメとかではなく
お子ちゃまな自分はこれからの私には必要ないんだ。
ここまで昇華してから
ちょっと気恥ずかしいけど母に感謝を伝えることにした。
そうすると当たり前だが関係は改善されてきている。
それに何より心強い。
母のパートナーも
『ゆきちゃんの新しい車、どれがいいかな?』
と本気でネットで調べてくれてURLとか送ってくれる。笑
※BMWとかレガシーがオススメらしい。
車に無知すぎて分からない。笑
母親との関係について伝えてきて
もう7年以上が経過する。
去年までの私は
『お母さんは捨てよう!』一択だった。
今もそれは変わらない。
お母さんは捨てるに限る。
でも捨てたその先に、愛ある母娘関係がある。
じゃあ愛とは何だろう?というお話。
2021年は
お母さんを捨てたその後についても
どんどん発信していけたらと思うよ…!!
私も過去に母との関係で色々あったけど
赦すってことを学んだんだ。
過去に固執して意地を張るのは、もうおしまい。
母を軽蔑するのも、もうおしまい。
お母さんを赦すことは自分の半分を赦すこと。
ちょっと嫌な部分とか理想通りでない部分があっても
『まぁ、そんなこともあるよね^^』
といい感じに受け流すこと。
↑これが頑固な私にはできなかったこと。
そしてそして。
今までこんなお子ちゃまな自分に関わってくださった皆様、ありがとうございます。
そんなことを学んで2021年、わたくし、もっと進化してゆきます★
セッションも再開始めてます。
2021年、ブイブイいきまーす。
Yuki