未だに忘られらない出来事がある。
それは太郎が私のお腹の中にいた頃だったから
今から7年も前の出来事だろうか。
ロンドン郊外での出来事である。
私はその日
当時の夫である人物と車に乗って
ロンドン郊外にいた。
そして、とあるすたれたガソリンスタンドに入ったんだ。
もうだいぶ前のことなので
詳細は覚えていないが
私はなぜか車から降りて
たまたま私たちの車の給油を担当してくれた
イギリス人の青年と会話をしていた。
彼は天然パーマの赤毛で、短髪で
おそらく20代前半で
白人さんで
そしてびっくりするほど歯がボロボロだった。
私から見える歯は
ほぼすべて虫歯で溶けて?おり
私は一瞬ギョッとしたが
彼が明るくフレンドリーに話しかけてくれるのが嬉しかったことを覚えている。
イギリスに引っ越した当初は
英語がそこまで話せず
外国人と話すたびに緊張していた。
というのも人によっては
たどたどしい英語を話す私に対して
あからさまに鬱陶しそうな態度を見せてくるので
私は外国人と話すときに萎縮していた。
そのガソリンスタンドの青年は
とてもフレンドリーで
(夫はその場にいなかったからトイレでも行っていたのだろうか?)
私の大きなお腹を見て
『君、ベイビーそろそろ生まれるの?』
とにこやかに尋ねてきた。
私が
そうだ、予定日まであと1ヶ月程度だ
と話すと
彼は
『そうなんだ!素晴らしいね!
僕は五人の子供がいるけれど
子供はとても素晴らしいよ!』
と楽しそうに話した。
『5人も!?すごい!!
ってかあなたの奥さんもすごいね!!』
と話すと
彼は
『そうだよ!うちの妻は素晴らしいんだ!
今日も家で子供のお世話をしてくれているよ!』
と答えた。
そのあたりで給油が終わったので
私が車に乗り込もうとすると
彼は
『赤ちゃんが来るの、楽しんでね!!!
じゃあ良い1日を!!』
と言ってくれた。
車に戻ると
もう夫は運転席に戻っていて
私は夫にテンション高く
『ねぇ!あのお兄さん、超優しかった!!
子供が5人もいるんだって!!
でもお兄さん歯がボロボロだった!
でもとにかく超優しかった!!!!』
と報告をした。
はじめてロンドンで友達ができた!!くらいに
嬉しく感じて
久々に夫以外の生身の人間の優しさに触れた気がして感動したのだ。
こんな、英語もカタコトなでかい腹した東洋人を
一瞬で幸せにしてくれたお兄さんを
私は感謝で包みたくなった。
私はお兄さんの素敵な奥さんと
5人の子供達を脳内で想像し
(きっと赤毛で天パで天使みたいだろう👼)
幸せな気持ちでいた。
興奮気味に報告する私に
夫はこう言った。
『ゆき、なんであの人そんなに優しいと思う?』
私 『なんで…????』
人が優しいことに理由はないし
優しい人に対して
『なぜこの人は優しいのか?』
と考えたことがなかったので
夫の質問の意味が本当にわからなかった。
興奮から引き離され
きょとんとしている私に
夫は続けてこう言った。
『あの人が優しいのは
何も失うものがないからだよ』
ますます意味が分からなかった。
夫の言わんとしていることが全く掴めず、
でも私は
『失うものってなに💢??』
と聞いたような気がする。
夫からの返答は覚えていないから
明確な回答を得られなかったんだと思う。
ガソリンスタンドのあの青年は
きっとイギリスでは貧困層に近くて
教育もたくさん注がれたわけではなく
だから歯がボロボロなのだろう。
イギリスは富裕層と貧困層の差が激しくて
お金持ちと貧困層の人では
話す英語も違う。
そこには明確な境界線がある。
でも、だからなに???
お兄さんが失うものがないのはなぜ???
そしてあなたは、さも自分は失うものがある、みたいな言い分だけど
あなたが失うものってなに???
今の仕事?
社会的地位?
お金?
肩書き?
資産?
なに?????
この出来事から7年経つが
未だに私は夫の言っていることが明確に理解できず
でもなんとなく嫌な感じ。
寂しい感じがあって
未だにこの思い出を反芻しては
お兄さんとその家族の幸せに思いを馳せ
元夫の言葉を真意を探っている。
今日この記事を書いたのは
私のそんな想念の成仏のためである。
元夫はこれまで
受験戦争をくぐり抜け
就活戦争をくぐり抜け
半沢直樹の世界観そのままの職場での
熾烈な昇格争いをくぐり抜け
その結果、ようやく。やっと。
自分のたゆまぬ努力の結果、
やっとやっと今のその生活を手にした、
と思ってきたのだろう。
今自分が手にしているお金や資産や
社会的地位や会社での立場、
肩書き、学歴、才能
すべて自分の苦労と努力の結果
それを自分で得たと信じているだろう。
だが実は彼が努力と汗水の結果、
自分で手にした(と思い込んでいる)
それらは
決して自分(エゴちん、理性、思考)で手にしたもの、ではなく
すべてである『神』
いわゆる『本当の自分』から
もたらされたものである。
自分のこれまでの努力や
自分のこれまでの勉強(学歴)
自分の社会的地位に自信がある人ほど
こうやってエゴちんに囚われやすい。
別にそれらを自分の理性の手柄と思っていてもいいのだけど
そこには弊害があって
その弊害とは
手にしたものを失う恐怖
なのである。
それらを
自分の努力と苦労と理性で勝ち取った!!
という意識が強ければ強いほど
失う恐怖はついてくる。
こんなに苦労してやっとの思いで得たものを今度は失わないようにしなければ!!
注意深く保守して管理しなければ!!
という思考になる。
私はその生き方が本当に無理。
めちゃ疲れそうだし
神経やられて死んじゃう。
そして、自分が『得た』と思っているそれは
どんなものであれ思考・理性の努力の結果ではなく
本当の自分から流れてきたものに過ぎない。
エゴちんにはそんなチカラは、ない。
自分が『得た』と思い込んでいるそれらは
自分が得たのではなく
あちら側から流れてきたものであり
その流れは永遠に途切れない
という本来の生き方をすると
失う怖さなんて感じられないんじゃないの??
元夫とは今でもたまに食事に行くが
その度に
なんかエリート業界の小難しい話とか
今後の日本経済のヤバさと
それへの対策について
延々と話すことがあり
大抵私はイラっとして
心の中で舌打ちをして笑
(結婚しているときは直接不快を訴えたけど今は離婚して関係ないので言わない。笑)
子供に話しかけるふりして話題を変える。
元夫はしょっちゅう海外や
都外に出張に行っていて
もう十分楽しそうにやってるけど
なんてゆーか
お幸せに生きていてほしいな、と
それだけふんわりと願う。
まぁ可愛い太郎二郎がいるから大丈夫でしょう!!
成仏、完了❤️