やっほー🍚

二郎と53階にある叙々苑に行ってきた!

5歳児をも唸らせる叙々苑!!
『ママ、ここのお店が一番おいしいねぇ!!』
と言ってました。笑
叙々苑ってほんとに美味しいです。大好きです。
私、小さい頃から食べ物の好みが変わっていなくて、離乳食終えた頃から好きなものは
- 焼肉!
- ステーキ!
- 麻婆豆腐!
なんですよ。

叙々苑はサラダも美味しく(野菜がドレッシングによってしんなりしてる!?)、野菜が好きではない私でもバクバク食べれちゃうんですよね🌱
しっかり火を通した、叙々苑のタレ味の牛肉をお口に放り込むと…
そこはもうパラダイス!!!
『おいしい!!』
『白米を思いっきりかっこみたい!!』
口の中に広がる肉汁…
そこに白米のほんのりとした甘さ…
タレの旨み…
私の体の全細胞、大歓喜💫💫💫
普段、お肉をあまり食べない二郎ですらものすごい速さで平らげてしまう、叙々苑の焼肉…
私と二郎は歓喜の渦に包まれていた。
そして、
全細胞が喜びで弾け飛びそうな、その感覚…!!
これが充足であり神であり本当の私、の正体なのである。

✎ܚその映像がおかしい
もし、あなたを悲しませたり嫌な気持ちにさせる出来事があったとしたら
その映像が、おかしい
その現実が、おかしい
例を挙げると、
もしあなたのことをバカにしたり
あなたを大切に扱わない人がいたとしたら
そいつ(その映像)が、おかしい。
私たちはその映像にNOを突きつけていい。
なぜなら、その映像がおかしいからだ。
その映像が間違っているから、だ。
だが、中には
『私は大切にされなくて当たり前なんだ』
と、間違った映像を受け入れてしまっている人もいる。
例えば、彼氏に大切にされていないのに
『私が我慢しなきゃ』とか
『私に悪いところがあったのかも』とか思っちゃったりね。
『あそこのDV旦那さんよりうちの旦那の方がまだマシだからいいや』とか。
間違ってる映像を受け入れて、どうすんの?
こんな人もいる。
そもそも『充足』という感覚からあまりに遠ざかってしまって
他人(映像)から大切にされないことが当たり前になってしまって無意識のうちに
『私の現実はこの程度』と
不足映像を受け入れて、充足を望むことすらしない
という人だ。
『前の彼と比べたら浮気しないだけマシか💦』
『他と比べたらホワイト企業だしこの会社で働き続けるべきだ💦』
『親は私の話なんて聞いてくれなかったけど、彼は話を聞いてくれるし愛されてるんだ!』
のように、自分が低レベルな何かと比べて、今の映像を良しとしているときは
このトリップにハマってしまっている。
※ちなみに私のとこに来てくれる女神ちゃんたちの半数以上は『うちの会社はホワイトなので…!(だから辞めたいと思う私がわがままなのかな?🥺)』という訴えを持っているが、私から見ると全くホワイト企業には見えない。本当のホワイト企業とは好きな時だけ働いて好きなだけお給料もらえて毎日『あなたって本当素敵ね!』と言われる環境だと思う。
そういう人たちは、不足映像をいかに乗りこなすか?というアプローチに進み
恋愛であれば恋愛マニュアル本にのめり込み
夫婦関係であれば夫の気持ちを理解しようと勉強をし始めたり
お金については節約法にのめり込む。
お仕事であれば本当はしたくないキャリアアップに励んだりする。
つまり、恋愛マニュアル本も男性心理の学びも節約方もキャリアアップも
『不足映像の中でいかに少しでもマシな思いをするか?』
『いかに不足映像に馴染むか?』
という現実を主体としたアプローチ方法であり
それは、潜在意識の原理原則に反している。
はい、復習!
内面=主
現実=従
※この主従関係は絶対
よって、現実を主体とする考え方はすべて間違っている
男性心理なんか学んでも意味ない。
節約法を学んでさらに自分の世界に制限をかけるのも無意味だ。
そんなことより
『自分がどんな映像でスパークするか?』
『どんな映像で全細胞が歓喜するか?』
を知って、それを望めばいい。

✎ܚ『現実を変える』が間違っている理由
現実(映像)なんてものは霧のようなものだ。
雲のようなものだ。
霧はぼんやり視覚で捉えることができるが
霧をつかもうとしても私たちはそれを掴むことはできない。
雲をつかもうと躍起になればなるほど、雲は私たちの肉体を簡単に素通りする。
現実を変えようとすることは、雲をつかもうとすることと似ている。
現実(映像)を変えようとすればするほど、その映像は私たちをいとも簡単に素通りする。
現実を変えようとする=今、私たちが不足映像を観ている
ということだ。
※不足を感じなかったら現実を変えようなんて思わないよね
不足映像は本来存在しておらず
それは私たちの妄想内で起こっている幻影である。
存在しないものを掴むことはできない。
そして『現実を変えよう』とすることは
“ない”ものを“ある”と思い込み、ますます錯覚を強めてしまう状態であり
現実を変えようとすることによって私たちはますます霧の中に迷い込む。
“ない”ものは“ない”のだ。
いかにそれが現実で確かに観えようと、それは“ない”
あなたが大切にされていないと1ミリでも感じる映像は間違っているし
欲しいものが手に入らないと感じる映像の方が間違っている。
その現実が、おかしい。
その現実が狂っている。
だからと言って私は嫌なこと(不足映像)を観たときに
『その映像は“ない”んだから落ち込むな!』
『ポジティブでいろ!』
と言いたいわけではない。
不足映像を観て、それが幻影だったとしても
嫌なもんは嫌じゃん。
だから感情を感じろ、と言う。
嫌な映像には NOを突きつけるんだよ。
幻影でも錯覚でも妄想でも、嫌なもんは嫌だもん💞
好きか嫌いか?で自分の映像を決めていい💞
私に似合うのは、叙々苑で焼肉をハフハフ頬張っているときのような、私が満たされる映像のみ、である💪