ここ1週間に殺到したお悩み
=まとめ=
彼にこんな酷いことを言われた
彼氏ができない
元彼を忘れられない
友達の集まりに自分だけ呼ばれなかった
彼のためにこれだけやったのに優しくしてくれない
彼が結婚の話を持ち出してくれない
親にこんなことを言われて動揺している
彼のためにいつも私ばかり頑張ってる気がする
大事なことなので聴いてほしい。
聞き流すんじゃなくて、
ちゃんと『聴いて』ほしい。
ここ1週間でみんなから寄せられたお悩み。
これらはどれも違う悩みのように見えるけれど
全部、おんなじだ。
全部、一緒だ。
彼にこんな酷いことを言われた
彼氏ができない
元彼を忘れられない
友達の集まりに自分だけ呼ばれなかった
彼のためにこれだけやったのに優しくしてくれない
彼が結婚の話を持ち出してくれない
親にこんなことを言われて動揺している
彼のためにいつも私ばかり頑張ってる気がする
↑これ、全部ニセモノの悩みだよ。
本当はみんな、こんなことで悩んでいない。
本当はみんな、
別に彼が優しくなくても
彼に酷いことを言われても
友達の集まりに自分だけ呼ばれないことを知っても
そんなこと、問題ではないと知っている。
みんなから寄せられる悩みは、
全部、思考がでっち上げたニセモノだ。
みんなが本当に言いたいことは
彼氏に優しくしてもらえなくて悲しい、
ということでもなく
元彼が忘れられなくて苦しい、
ということでもなく
長年付き合ってる彼氏が結婚の話をしない、
ということでもない。
みんなが本当に言いたいことは、
つまり
みんなの本当の願いは
『現実に振り回されたくない!!』だ。
いちいち、彼氏の言動に一喜一憂しなくない!
いちいち、友達のインスタ投稿見て落ち込みたくない!
いちいち、他人の言動によって自分を責めたくない!
いちいち、元彼を思い出して『失敗した』と後悔したくない!
いちいち、親の言動で落ち込みたくない!
いちいち、いちいち
いちいち、いちいち
現実によって自分の内面を掻き乱されたくない!!
だ。
これがみんなの本当の願い。
彼氏なんてどうでもいい。
元彼なんてどうでもいい。
仲間外れにされていようがどうでもいい。
親なんてどうでもいい。
一生結婚を切り出されなくても、本当はどうでもいい。
全部、どうでもいい。
私たち皆に共通している願い事がある。
それが
いちいち現実によって自分の内面を荒らしたくない、だ。
そしてその願いは
めちゃくちゃ!非常に!とんでもなく!
言わずもがな!
的を得ている。
これ以上、的を得ていることなんて他にないくらい、的を得ている。
私たちは誰かに愛されたいんじゃない。
誰かに認められたいのでもない。
誰かに永遠の愛を誓われたいのでもない。
私たちは、
現実によって自分の内面を荒らされたくない。
ただ、それだけだ。
みんな、頭では今は理解できなくとも
深いところで知っている。
『内面が先、現実が後だ』と。
自分の世界は、自分の内面が反映されている、
と知っている。
本当はみんな知っている。
だってそこは私たちの故郷。
『内面が先、現実が後だ』
現実世界の彼氏の言動に一喜一憂して
冷たくされたら落ち込んだり
結婚を切り出されないことで自分を責めたり
もしくは
元彼を思い出して自分を責めたり
自分の未来を憂いたり
これが、どんなに無意味なことか
本当に、ちゃんと、理解しようとしていますか?
してないよね?笑
だから説明しよう!
内面が先、現実が後。
自分の内面に作り出した世界が、
そのまま外側の現実世界に反映される。
現実を見れば
自分の内面において
自分がどんな世界を創り上げていたか、分かる。
つまり、現実とは
自分の内面の状態を確認するための
ただのリトマス試験紙、のようなものに過ぎない。
例えばみんなが、ある液体にリトマス試験紙を浸して実験したとしよう。
リトマス試験紙で実験した結果、
『赤色(酸性)』という結果を見て
いちいち
『何だと!?この液体は酸性なのか?
納得いかない!
どうにかしてこの青色(アルカリ性)という結果を見たい!
リトマス紙が青色じゃないなんて悲しい!酷い!』
と騒ぎませんよね?
そんなん騒ぐ前に、計量カップの中の液体を変えればいいよね。
現実を見て、
現実の彼氏の言動や
彼氏がいないという現実にいちいち反応するのは
『赤色(酸性)という結果に納得いかない!』
『この結果にどうやったって満足しないぞ!』
『この結果がアルカリ性(青色)に変化するまで私は幸せになりません!』
『この結果がアルカリ性(青色)になるまで私は自分を愛しません!』
と騒いでいることと、おんなじなんだよ。
あなたがそんなに
アルカリ性(青色)の結果を見たいのであれば
計量カップの中の液体をアルカリ性のものに変えればいいだけでしょ?
計量カップの中の液体
=あなたの内面、で
リトマス試験紙の結果
=現実、だよ。
だから、
現実(リトマス紙の結果)にそんなにいちいち反応して
現実(リトマス紙の結果)を変えようとするのは無意味なの。
簡単な話。
中身の液体を、アルカリ性に変えればいいだけなの。
自分の内面を『しあわせ』とか『安心』というものに変更していけばいいだけなの。
『内面が先、現実が後』
↑これは絶対に揺るがない法則なので
ここは本当に信じてください。
でないと、何も始まらない。
これを信じられないなら
とっととスピリチュアル系の世界から足を洗って
普通の心理学だけに没頭した方いいよ。
『内面が先、現実が後』という大前提は
いつでも忘れずにいてください。
とは言え
今まで現実に反応して生きてきた私たちだから
そんなに簡単に現実へのリアクションを止めることはできないと思う。
現実を見て落ち込んだり悲しんでもいいから
大前提である『内面が先、現実が後』は
必ず頭のどこかに置いといてください。
繰り返すけど
私たちの願いは
何とか彼氏と結婚に漕ぎ着ける、
そのために彼氏の言動を何とかしたい、
ということではなく
友達に認められていると実感したい、
そのために友達の反応を変えたい、
ということでもなく
『現実を見ていちいち反応することを止めたい!!』だよ。
現実にいちいち反応する必要がないことを
私たちは知っている。
だから
『現実を見ていちいち反応することを止めたい!!』
という私たちの願いは
自然で当たり前のこと、なんですね。
そして現実を見ていちいち反応することを辞めたとき
私たちは『内面が先、現実が後』という、
今まで忘れていた法則を思い出す。
そのとき、一気に
現実はドミノ倒しのように変化する。
黒のオセロが一気に白色に変化するように、
赤色リトマス紙が青色リトマス紙に変化する。
必ず、現実は好転する。
だけど、そのときあなたは好転した現実に対しても
激しい高揚感は、もう感じない。
なぜならあなたの内面が
既に溢れ出んばかりの安心感で満たされているから。
現実なんて気にならないくらい
安心感の絶頂にいるから。
だから現実がめちゃくちゃ好転しても
以前なら飛び上がって喜ぶほどの現実が来ても
『よかったな。以上』という反応になる。
逆から話すと
どんなやばい奇跡が起こっても
『そりゃそうだよね』
『私はその現実を体験するにふさわしいよね』
というところに自分のマインドを持ってけばいいよね。
そのためにインナーチャイルドの癒しとか
親子関係の見直しとか
お母さんを捨てるとか
感情解放するとか
自分を愛するとか
色々やるわけです。
『内面が先、現実が後』
ここを大前提として持つ気がないなら
スピの世界からは、もう足を洗ってシャバに戻ろう。
その大前提を信じずにスピの世界に入ると
無駄に自己否定高めてヤケドすっからね!
内面は変える気がないけど
(変える自信ないけど)
現実変えたいです、ってのは
ドツボにハマって、スピを知らない頃より病むよ。
私の体験談です。
Yuki