母は未婚のまま私を産みました。
当時の母は25歳で父は60歳でした。そして父は他の誰かと結婚をしており、その他にも何人もの女性がいました。
それから3年後、母は私の妹を産みました。
父は週に2回くらい私たちの家に泊まりに来ました。それ以外の日は、父が結婚している人の家や他の女性の家をローテーションで回って生活していたようです。
当時、父は不動産会社を経営しており結構稼いでいるようでした。その証拠に自分の女たちのために何軒も家を建てていました。
父の周りに集まる女性は、私たちと仲良くしてくれる人もいれば私たちのことを嫌いツンケンしてくる人もいました。
特に父の本妻の態度が酷く、我が家に無言電話をかけては母を困らせていました。
陰気な顔をした女でした。
父の周りにいる女性のうちの1人でミエコさんという人がいました。母より10歳くらい?歳上でしたが自分で小さな美容院を営んでおり私たちはよくミエコさんのところにお邪魔しては夕飯を頂いていました。ミエコさんはお料理上手だったのです。
そんな感じで私は高校までを実家で過ごしました。ですが高校が終わる頃には父と会わなくなっていました。
父は私が中二の時に脳梗塞をやり、長い入院生活を送っていました。脳梗塞後の父は体に麻痺が残り、そんな父を見るのはとても悲しくて私たちは次第に父から遠ざかったのです。
お金をバリバリ稼いで女好きなパワフルな父が、ただのおじいちゃんになった姿は、哀しかったです。
父は私が22歳くらいの頃、亡くなりました。私はその頃は仙台で働いていましたが母からの連絡で知りました。母は新聞のお悔やみの欄で父の死を知りました。
そんな両親の元育ったことはもちろん、私の人格形成に大きな影響を及ぼしました。
私はずっと『私は、避妊してない身勝手な大人のもとに産まれた人間』と自分を定義していましたし、父と母のその欲望を汚らわしく思っていました。
要は自分の存在を汚い、と思っていたんです。
母は決して父の悪口を私たちには言わず、ずっと父に恋をしていました。父が泊まりにくる日は母が女の顔になっているので恋しているのは一目瞭然でした。
母は『パパの子どもを産むことができて本当に嬉しかった』と言うことがありましたが、私はそれを信じませんでした。
身勝手な大人が出来事を美化するために言い訳を言ってるんだと思っていました。
占い大好きな私は両親のことを観てもらったことが少なくないのですが、今までに2回ほど霊能力がある人に同じことを言われました。
『お母さんはとってもお父さんのことが好きなのですね』と。
それを聞いても私は『ふーん』と思う程度で、その言葉が実はどんなに私にとってパワフルな影響を及ぼすのか、まだ気づいていませんでした。
先日こんな記事を書きました。
私の母の恋は周りから反対されるなんてものではなかったでしょう。
今から35年前。まだまだ世間がガチガチだった時代に、母は、あんな父の子どもを2人も産むという選択をしました。
この間、上の記事を書きながら気づいたんです。
母の恋は正解だった。と。
私の存在は汚くなかったのだ。と。
その気づきは私のアイデンティティを根本からひっくり返すような威力がありました。
もし私が母の立場だったら、私は母と同じ選択をできるのでしょうか?
『この人が好き』
ただそれだけで2人の子どもを1人で育てる覚悟で産む選択を、この弱虫な私はできるのでしょうか。
今までの私は決して上記の選択をしない生き方をしてきました。
せめてもの母への反抗です。
でも、私は今また生き方を変えようとしています。
これからの人生で私が選ぶのは母の人生なのです。
1回母の人生を全否定して
そして自分なりに人生を旅して
行き着いたのは母の人生でした。
Yuki
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