私がどう頑張ってもなれないもの、
バリっバリのキャリアウーマン。
私が絶対になりたくないもの、
バリっバリのキャリアウーマン。
私ができないことは
私がやりたくないこと。
私、キャリアウーマンの人の言葉が
マジで理解できないことが多々あるんです。
普段の生活でキャリアウーマンとの接点はほとんどないけど
たまに私のセッションの『クライアントさん』として
キャリアウーマンと関わる。
キャリアウーマンには2種類あって
私の話が通じるキャリアウーマンと
話が通じないキャリアウーマンがいる。笑
そもそも私のブログなんて
キャリアウーマンの世界とは対極にあるんだけど
それなのにキャリアウーマンさんが申し込んでくるから面白い。
私の話が通じるキャリアウーマンは
やわらかい、余白がある、空白がある、って感じで
言葉にするのは難しんだけど
ぽや〜ん、とか、ほわっとしてる。
こういう、ぽや〜ん、ほわっとしてる人のことを
世間では『余裕がある』とか『スキがある』って形容するんだと思う。
※いい意味の『スキ』ね。
で、私の話が通じないキャリアウーマンは
真面目、真剣、堅さがある、締切期日とか重視、
メールの文章が『ビジネスメールのお手本』みたいで驚かされる、って感じ。
言葉にすると
カッチリ、キッチリ、チクタク、四角形、直角って感じかな。
セラピストを始めて割とすぐの段階で
すごく整ったビジネスマナーにのっとったようなメールが来ると
『あ、この人はこっち系か!ニュアンス伝わりづらい系か!』と分かるようになってたんだけど
最近やっと
私の話が伝わりづらい系の女性のことが分かった!!
カッチリ、キッチリ、直角タイプの人って
私のセッションにももちろん
カッチリ、キッチリ、直角を求める。
だけど
私のセッションは
ぼや〜ん、もや〜ん、としている。
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直線ではなく波のようにうねって
一貫性がないのが私のセッションだし
そこには『答え』がないの。
(そもそもなんで私が人様に答え与えなきゃいけないの?)
カッチリキッチリ系の人は
まるで受験勉強をするかのように
『サイン、コサイン、タンジェントー!!』ってな感じで
セッションに『正解』を求める。
だけど『正解』は私のセッションには存在しないよ。
というか、自分の心なんて『正解』はないんだから
『正解』に従おうとしている時点で
自分の心を見れないでしょ。
今日私がこの記事を書いているのは
あるクライアントさんに
『自分を愛することが分からない』
『ゴールは見えるけどルートは見えない』
『セッションにおいて、ゴールに対するロードマップを描いて、可視化してうんちゃらかんちゃら』
と言われて
私の頭が
『???』になったから。笑
そもそも
ロードマップなんて言葉、37年間の人生で
今初めて使ってるし
小難しくてよく分からない。
私は普段、そんな風に脳みそ使ってないから
マジで分からないしなんか難しくて大変そう、と思った。
で、そこで私は
『話が伝わらないってこーゆーことか!』って分かった。
女性性がなんなのか、
よーく分かった。
私のマインド、私のセッションは
数学みたいに『はい、これが答えでーす!』ってのが、ない。
そもそも外側の答えによって自分の生き方を決める、とか、もうずっとしていない。
だから忘れてた。この感覚。
『はい、これが答えです!これがゴールです!こうすれば勝ちです!』
っていうやり方は、男性的だ。
男の人と話しているとすごくよく分かる。
ほとんどの男の人はそうやってがんばって生きてる。
で、私にはその男性的生き方が本当に不可能で
『ゴールに向かってタスクをこなす』みたいな、
『ある一つの正解に向かって効率よく進む』みたいなのが
本当にできないのね。窮屈で泣きたくなるのね。
私のセッションは
『このゴールに向かってこれをこなしましょう!』
『このタスクをやっていくことであなたは自分を必ず愛せます!』
っていう方法ではないの。
ってか、愛とはそもそも矛盾を孕むものだから
そこには『正解』がないんですよ。
正解がない(男から見たら)効率の悪いことを
ゆらゆらふらふら感じていくの。
いつでも『ま、いっか』って言える自分で在りたいの。
そんな女を私は最高にセクシーに感じるの。
そして
それが私の生き方だし、それが私のセッションなの。
だから『正解』が欲しい人とか
ロードマップ?が欲しい人は
私なんかのブログ読まんで
小難しい心理学の大学教授(男性)とかの話聞けばいいんじゃない。
絶対面白くないけどね!その話。笑
でも思考は満足するのかもね。
キッチリカッチリ、直線的、直角的は
すごくつまらないよ。
『幸せ』とか『安心感』は
余白/空白に流れ込んでくるよ。
インスピレーションとか人生を良くする直感も
余白/空白に流れてくるよ。
職人さんが機械の歯車を作るとき
わざと歯車に『がたつき』を作るらしい。
ピッタリキッチリと三角関数に基づいて設計すると
歯車は回らなくなるんだって。
ほら、数学には限界があるんだよ。
数学=思考には限界があるの。
『正解』には限界があるの。
大工さんも家を建てるときに
木材をピッタリキッチリ仕上げるのではなくって
わざと、少し隙間を作ってゆとりを持たせるらしい。
寸法をキッチリにすると
木材が湿気を吸ったり乾いたりすることで膨張したり縮んだりしたときに『ゆとり』がないから壊れちゃうんだって。
歯車も家の組み立ても、私たちの心も
『あそび』が必要なの。
あそび=余裕を持たせる、隙間、がたつき、趣(おもむき)
だよ。
これで言うと
自分の欠点だと思ってる、そのパーツは
ただの『がたつき』であり『あそび』であって
本当は魅力でしかないことが分かる。
話を戻すね。
人間関係なんて、恋愛も子育ても友人関係も
それは自分の心に余裕を持たせてくれるし
そこに趣(おもむき)があるよね。
人間関係なんて『あそび』しかない。
思い通りに、決められた通りに、絶対に行かない。
誰かと触れ合ったときの
暖かいな〜みたいな、じわ〜とする感覚
子供を抱っこしたときの
幸せな重量感、嬉しいドシーンとした重さ
好きな人とキスしたときの
トロトロになるような感覚
誰かにフラれた時の
切なくて悲しい気持ち
これが、日本人が大切にする趣(おもむき)。
そのすべての趣を女性性と言う。
女が趣を捨てたら
圧迫面接をしてくるクソジジイみたいになっちゃうよ。
なんでもかんでも論理として形にできないよ。
なんでもかんでも型にはめられないよ。
直線大好き直角大好きな人からしたら
私のセッションって
『意味不明だし最低!ちゃんと説明して!』なんだと思う。
でも、私が直角女でないことはブログ読んだら嫌でも分かるよね?
直角女のあなたが私のブログに惹かれるのはなぜ?
もう正解探しに疲れたからでしょ?
もう誰かが勝手に決めた正解に従いたくないからでしょ?
直線人生がつまらないからでしょう?
答えがない世界に飛び込みたいから、でしょう???
趣をただ味わって生きていきたからでしょう???
機械の歯車も
家の基盤となる木材も
『あそび』『ゆるみ』『おふざけ』によって
今日もしっかりとその役目が果たされている。
正しさを突きつけて何かを正そうとしないで。
ちゃんとすることでコントロールしようとしないで。
ぽわ〜っと、
ぼわ〜っと、
ゆる〜っと、
適当である勇気を持って。
Yuki