↑↑この職場で私はナースとして働いていたんだけど
このクリニックではスタッフの業務がすべてマニュアル化されていて
ある意味、すんごく楽ちんだった!
業務内容がマニュアル化されているのは珍しくないんだろうけど
なんとこの職場ではナースが患者さんに言う言葉、一語一句まで
全てマニュアル化されていたのだ…!

例えば、婦人科にある内診台。
あの内診台に患者さんに座ってもらうときも
『足をここに掛けてくださいね〜』とラフに言うのではなく
『左右二つの台にお足元をお乗せください』
みたいに、喋ることがぜーんぶ決まっていた…!
お足元って…!!笑
手術後に意識朦朧としている患者さんに話す言葉も
一語一句決められていたし
意識朦朧でだらーんとしてる患者さんに
ものすごく丁寧な言葉で
『このお薬は1日3回食後に服用してください。
こうこうこういう症状があったらクリニックまでお問い合わせください』
と機械的に説明するし
採血をするときの言葉まで一語一句決められていた。
すべてがものすごく機械的で
それに対して『なんか患者さんに冷たいというか距離があるな』
と思ったけれど
マニュアルに従ってそれをこなせばいいだけ、の仕事は
すごーーく楽だった。
と同時に虚無感を感じた。
そしてここのクリニックは給料が良かった。
なんと夜勤なしで月給40万円だったし
この高給で『言うことを聞くだけでいい』
この仕事は、本当に楽だったんだよねぇ。
でも、この職場は
スタッフが定着しなかった。
いくら給料が良くても人は辞めていくし
体調を崩すスタッフも多かった。
そして、ここの院長は気の毒になるほどに人望がなかった。
気の毒すぎて
パワハラまがいの院長だったけど
私は彼のことが好きだった。
なんか気の毒すぎて。笑
私たちスタッフは上司や院長の前では
ロボットのように奴隷のように
マニュアルに書いてある言葉だけを繰り返し、
表情は崩さずに、そうすることで『他のクリニックより高いお給料』を受け取っていた。
ここの院長はビジネスとしては成功者で
長者番付にも載っていて
本人もそれをよく自慢していたけど
私には院長の生活が心地よいものには見えず
あるとき、院長室に呼び出され
『このクリニックでトップになってたくさん稼げばいい』
と話をされたときも
『女性がそこを目指して、それは本当に女性にとって幸せなのでしょうか?』
と尋ねた。

ナース時代の私
当時、あんなワンマンな院長にそんな問いをぶつけられたのは
多分、私だけだったと思う。
→続きを読む
私は院長の前では
『私は青森から出てきたなんも知らない田舎者です』
というていで働いていたから
その質問も
『田舎者の私に教えてください』という雰囲気を出して尋ねてみた。

新宿の夜景を一望できる院長室で
院長は私の問いに
『それは〜…』と珍しく言葉を濁して
私はなんとなく『この自慢大好きなおじさんに悪いことしたな。』といじらしい気持ちになった。
母性のようなものすら感じた。
あのときの、あの院長との対話を
私はあのクリニックを辞めてからも
何度も反芻する。
院長に呼び出されたという噂を聞きつけた同僚たちが
みんなワクワクしながら私に
『どんな話をしたの?』と尋ねる。
私は会話の内容をそのまんま伝えると
みんな『え?そんなこと言ったの?院長はなんと言ったの?』
と驚いていた。

物質世界で
資本主義の頂点を極めつつある男、
マニュアルでスタッフをコントロールせずにいられない男、
世間でいう『成功者』
普通だったら話す機会のないような『成功者』
そんな成功者でも
『女性の幸せ』は分からないんだなぁ…
そりゃそうか。
でもこんなすごい成功者だったら
ガムシャラに走り続けることの意義を教えてくれるかもしれないと
私は期待していたのだ。
私はその時、院長に
『頑張って働いてたくさんお金を稼いでトップを目指す』
ことの素晴らしさを教えて欲しかったのだ。
だって
それが本当に素晴らしいことだって思えれば
私は今後もここでただ人の言うことを聞いて
毎日の業務を的確にこなせばいいだけだから。
そんな人生は楽だなぁと思ったんだよね。
でも院長からもその答えをもらえず
私は『どうやったら私は満たされるのだろう』って
また考える羽目になった。
あの成功者の院長ですら
私の答えを知らない。
一体全体、どうすればいいんだろう?
どうやらお金をたくさん稼ぐことが幸せでもないようだ。
地位を持つことが幸せでもないようだ。
じゃあどこを目指せばいいんだろう?
結婚?子供を持つこと?
でも彼氏すらいないしどうすればいいんだよ。
そんなことを思いながら
湘南新宿線に乗って
『誰も私に答えを教えてくれないこと』
に、ものすごく腹が立ってきたこともあった。
そんな私が勇気を出して
自分にとって大きな決断をしたのは
セラピストを目指すと決めて勉強を始めたこと。
『起業してうまくいく』なんて
誰も言ってくれない。
すごくすごく怖かった。
半ばやけくそでセラピストデビューして
やけくそになりながらも
いつも『私がこう思うからこれが私の答えなんだ』
と震えながら決断を繰り返して
セラピストデビューは成功した。
デビュー初月で100万円を売り上げた。
ほっと安心したのも束の間
今度は所属していたセラピスト協会を辞める決断をした。
どうにもこうにも馬が合わなかったのだ。
それにやりたいことを制限されてるように感じた。
正直『この協会にいれば安心』と思っていた。
だから辞めるのが怖かった。
だけど、悪寒がしそうなくらい悩んで
私はそこを辞めることにした。
辞める時
『1年間はセラピスト業をしないこと』
と言う誓約書を書かされたけど
私は勝手に
『これは効力ないでしょ。確か社会の授業で日本人は職業の自由があると習ったぞ』
と思ったので、
まんまと誓約書の言いつけを破って堂々と個人セラピストとして活動を始めた。

本当、
自分で決めて自分でやる、っていう
正解のないまま進むことを繰り返した感じ。
それは自分の人生の輪郭をはっきりさせる作業だった。
そして今。
私はまた大きな決断をすることとなる。
そう。
『離婚』
今回も同じように
『ここにいれば安心なのに』と
何度も思ったね。
でもその安心は偽物で
本当の安心とは
『私は何があっても大丈夫』と感じられること。
『私なら何があっても大丈夫』という前提なら
自分はどうしたい?という話。
思考で未来を見れば不安しかないよ。
もう笑えるほどに不安ばかり出てくるよ。
シングルマザーの貧困とかの記事を見るとゾッとするし
自分が病気になったら?と妄想すると怖くなるし
うーん、でもこれはちょっとだけ、かな。
でも『不安』の言うことばかり聞いていたら
世間や誰かの言いなりになるしか方法はなくって
そんな生き方してたら一気に老けそうだからイヤ。
この間
エステでビジネスを築いた男の社長さんと話したけれど
(その社長さんは中卒で子供4人いてビジネスを成功させた人)
『別に最悪、生活保護受けて田舎に引っ越せば
それなりに楽しく生きてけるんですよ』と言われて
『いや、本当にそうですよね!
日本にいる限り野垂れ死ぬことはないですよね!
なんでもありっすね!』
と笑って解散した。
その社長さんは
『僕はこんなことばっか言ってるから
友達と話し合わなくてどんどん友達いなくなる』
と笑って話していたけれど
自分で自分の答えを決めるって
孤独を受け入れるということ。
でもそれは決して悲しいことではなくって
それはなぜかというと
『表面的な孤独』を受け入れることにしか過ぎないから。
世間や親の言うことに従う人生から
自分に従う人生に移行するときは
怖いし不安でたまらなくなる。
だけど、それは必要な過程。
イニシエーション。
通過儀礼。
怖くても不安でも
自分で自分に『大丈夫だから』と言い続けてあげればいい。
自分で自分に『大丈夫』と言えないときは
自分を愛していないだけだと気付けばいい。

偉そうに書いてるけど
私だって、またイニシエーションの途中。
結構ワクワクしてるし気持ちもあるし
何よりこんな私の人生を
一つのエンターテイメント、として
みんなに楽しんで傍観していてほしい。
野次馬感満載で傍観していてほしい。
私も決して平気ではない。笑
と同時に結構冷静で平気でもある。
我が子に、世界に、
私の背中を見ていてほしい。
それがヒロインの正しい在り方でしょ?
Yuki

P.S
アレルギーで咳が出るので『叶えるもん』の音声を録画できません!(涙)
どうか気長にお待ちください。