■潜在意識美人の仕事

男性性バリバリの職場で働いて死にそうになった時の話

 

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さて、日本は台風が来てるみたいですね。

台風のニュースをネットで見ていたら

鮮明に思い出したことがあり

それをblogに綴りたく、やっと更新することができました。

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あれは、7年前くらい前の初秋かな。

まだ夫と出会う前で、東京は新宿のブラッククリニックで働いていた私。

そのクリニックの院長はどっかの国の総書記みたいに

職員を怖がらせ、自分を崇めさせ支配することでクリニックを大きくした人。

日本の長者番付、医師部門で堂々のNo1だったから

すごく儲かっているクリニックでした。

院長がそんな感じだから

もちろん、看護部のトップも怖いわけよ。

怖いけれど、その人に好かれておけばどうにかなる。

そんな職場。

幸いなことに(?)というか

そういう時は懐に入るのが上手な私は

言われたことを忠実に淡々とこなし媚びて

看護部のトップにも院長にも割と好かれていました。

当時の私は、今思えばそこの職場に洗脳されまくっていて

『お上の言うことは絶対!!!』でした。

 

ある時、そこのクリニックでイベントが開かれました。

職員全員で、お台場にある大江戸温泉で宴会をする、と言うイベント。

ちょうど今くらいの時期だったと思います。

宴会の翌日は台風が来るようだ、とニュースで言われていました。

もちろん、台風ごときで宴会を中止延期にするような将軍様ではありません。

将軍様の目的はただ一つ。

『俺がみんなを楽しませてやったぜー!どや!』と威張ること。

そして職員の目的はただ一つ。

『院長♡いつもありがとうございます♡』と媚びて嫌われないようにすること。

 

 

そうはいっても、当時はその職場に仲のいい人がたくさんいた私。

みんなとワイワイ騒いで結構楽しかったのね(笑)

 

目一杯楽しんだ後は、帰宅するわけだけど

当時の私は横浜中華街のすぐ近くに住んでいました。

 

宴会会場の大江戸温泉はお台場。

通常だと乗換2回、1.5時間で帰宅できるのですが

宴会が終わる頃にはもう台風が東京に近づいていました。

お台場からなんとか新橋までたどり着き

新橋から京浜東北線に乗った私。

このまま無事に横浜まで到着することを期待しました。

なぜなら翌日は朝9時から仕事!!!

仕事に遅刻するなんて考えられません。

その職場での遅刻=上司からのパワハラ&いじめ を意味します。

 

そのクリニックでは

『祖父母の葬式で仕事を休むなんてありえん!』

『台風は事前に情報がわかるのに、台風での遅刻はありえん!』

(クリニック近くのホテルに前泊しろ!!)

と言う考え方でした。

 

ですから

死んでも仕事に遅刻はできません。

(と思っていた)

 

私の頭の中は

『明日も定時に出勤すること』

これで埋め尽くされていました。

ただならぬ使命感を抱いていました。

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↑まだピチピチだった当時の私。

当時の夢は、可愛いお嫁さん←

 

しかし私の願いもむなしく。。。

京浜東北線は神奈川県までたどり着かずに

大森という駅で止まってしまいます。

風が収まったら運行を開始する、という

運転士の気だるいアナウンスが流れたのは

すでに深夜0時。

15分ほど車内で待ちましたが

電車は一向に動く気配がありません。

 

それは私にとってとても恐ろしい光景なのですが

乗客のみんな

そんな時間帯なのに、顔色一つ変えずに携帯をいじってるんですよね。。。

 

どうしても翌朝出勤しなければいけない私は

車内でケータイでいそいそと大森駅近くのホテルを検索し

そのホテルに飛び込むことに!

止まったままの電車から降りて

強風の中、ホテルまで一人で歩いたのですが

これがまたホラー。

大森駅の近くはあまり栄えておらず

駅からホテルへの道のりは街灯も少なく

しかも台風による強風で道には木の枝やゴミが散乱しています。

強風に逆らって歩く私の足には

その枝やゴミが絡みついてきて

泣きそうなくらい怖かったことを思い出しました。

 

 

駅からホテルまではたった10分の道のりでしたが

当時は支えてくれるような彼もおらず

(支えてくれない彼はいた。笑)

 

ものすごい孤独と恐怖を抱えながら台風の夜道を歩きました。

すべては、将軍様のためにっ!!!

 

 

あの時の自分の心情を思い出してみても

やっぱり自分はどうかしてた、と思うのです。

その仕事が自分の全てだと錯覚していたし

自分より仕事を優先することが当たり前になっていた。

心は疲弊していたのに、当の私は疲れていることにすら気付かなかった。

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当時と対象的な現在の私。

 

そしてね、当時の私と同じような人がたくさんいるよね。まだ。

そんなのはもう戦争みたいに昔話になって欲しいんだけれど

やりたくもない仕事を自分より優先して死にそうな人たち。

お願いだからもう辞めて。

あなたのいる職場は、とてもとても小さな世界だよ。

 

ただ、あの台風の晩。

一つ救いだったのは、滞在したホテルが結構いいホテルで

ゆっくり休めたこと。

 

台風の翌朝は、昨晩のホラーが信じられないくらいの晴天で

それがまたさらにホラー。

 

ピッカピカの太陽と、道端に転がる木の枝々。

 

心機一転、大森駅に向かった私は駅について愕然。

台風翌朝の京浜東北線は遅延しており

駅のホームから溢れそうな群衆。。。

いつ人が線路に落ちてもおかしくない光景。

そしてそんな中、ポーカーフェイスでケータイをいじる東京人。

その光景が7年経った今も忘れられないの。

 

大森駅のあの、無表情の群集たちを目の当たりにした時

『私もこうやって人生終えるの?』ってすごく怖くなったもの。

 

 

そんなこともありましたが無事、定時前に新宿の某クリニックにたどり着いた私。

『台風で遅刻?そんなのありえません』

みたいな顔で飄々と出勤したんだよね。

そういえばそのクリニックでは38度の熱でも当たり前に働いたし

大雪で遅刻しそうな時は横浜からタクシー飛ばして出勤したんだっけ。

懐かしい。

私が湘南新宿ラインの中でパニック発作を起こしたのは

この台風事件からわずか数ヶ月後のこと。

 

 

いつだったか、その職場で『退職したい』と言ったことがあったんだよね。

割と上司に好かれ院長にも好かれていた私は

ある日、退勤時に院長室に呼び出された。

新宿の夜景を一望できる、3●階からの景色は圧巻で

院長は、その院長室で東京を制覇した気になってるんじゃないかと思った。

そのくらい綺麗な景色だったから。

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院長に退職しないよう諭されたんだけど

『女性がそこまで働いてどうなるんですか?』と

純粋な気持ちで質問した。

あの院長にそこまで言える職員はいなかったと思うけれど

当時私は『青森から出てきた田舎娘』みたいなポジションだったから

そんな質問も許されたんだよね。

 

どんな質問にも圧倒的威圧感で返す院長は

私のその質問に珍しくどもってゴモゴモ言ってた。

 

この記事書きながら思ったけれど

あぁそうか。

当時の私は男性性ビジネス、をしていたわけだね。

将軍様は何も悪くないんだよね。

彼はきっと、女性性ビジネスのやり方を知らなかっただけ。

そして将軍様によって私は男性性ビジネスの対極をやって生きていける今がある。

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最終的に、『クビ』を宣告されてある日突然終わった将軍様とのお仕事でしたが

今はあの職場にとっても感謝してるし

将軍様に会いたい。

でも願わくば、今はもうちょっと職員みんなに優しくしててほしいよね。

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みんなも、会社の『当たり前』に飲み込まれて自分を見失わないよーにね!

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