Instagramで質問をしたら
そこは優しい世界だった^^
311とコロナって似てるね。
2011.3.11
その日、私は仙台駅前のクリニックで働いていた。
不妊治療専門のクリニックでナースをやっていた。
私は新人教育係を任命されていたのだが
ちょうどその日、
4月から働き始める新卒のナースさんの白衣サイズ合わせが予定されていた。
私は、その新しいナースさんたちに挨拶をするため
クリニックで待機していた。
その時、東日本大震災は起こった。
地震なんて、慣れている。
日本人なら、東北生まれなら、尚更。
(慣れてるけど毎度、一番ビビってるのは私)
でもその日の地震はいつもと違った。
激しい揺れが来て
一旦おさまったと思ったら
今まで以上に激しい揺れがやってきた。
今までの地震とは明らかに様子が違う、その現象に
私は
『きっとこれは地震じゃなくて、
飛行機かなんかがビルに突っ込んだんだ!』
と思った。
(そのクリニックは駅前の高層ビルに入っていた)
地震がおさまって、その日は先輩ナースの家に泊めてもらった。
もちろん停電しているし
今ほどSNSも発達しておらず
私たちはあんな大きな津波が沿岸部を襲っているなんて
全く知らずに
コンビニで先輩と楽しくビールを買って、先輩の自宅で楽しく宅飲みをしていた。
翌朝起きて
先輩ととりあえずクリニックに出勤すると
ラジオを聞いたみんなから
『いかにヤバイ状況か』聞かされた。
クリニックは、停電で薄明かりの中
コートを羽織って営業した。
『こんな時に不妊治療クリニックが営業するなんて!自粛自粛!!』
と、院長を責める声もあった。
私もそれにちょっと同調した。
なんだか
誰かを、何かを、批判したかったんだ。
だけど、
『津波で流されたけど何とか踏ん張って生き残りました…!』
とヨレヨレの服装で現れた患者さんが
妊娠判定で陽性だった時
とても神秘的なものを感じた。
その患者さんは
もう長いこと(5年とか)、治療を行っていて
初めての妊娠判定陽性、だったんだ。
懐中電灯で照らされた、妊娠判定陽性の
その紫色の縦線は今でも記憶に残っている。
地震から3日目くらいには
もうクリニックの停電は復旧され
電気は戻っていた気がする。
私は地震から2週間くらい
休みなく毎日出勤した。
4年付き合った、ズブズブの腐れ縁の彼氏と別れたばかりだった。
寂しかったし、家にいてもすることないし
出勤すると、院長手作りのおにぎりとか食べれるし
クリニックに救われていた。
ある日、まだまだ地震の余波が残る中働いていると
ある患者さんが
『看護婦さんたち、こんな時に働いてくれてありがとうございます』
と、お菓子を持ってきてくれた。
蜂蜜入りのティーのようなものも頂いた気がする。
その時は
お菓子が手に入らなくて甘いものはしばらく食べていなかったが
その患者さんから頂いたあま〜いお菓子は
それまでの人生で一番美味しいお菓子だった。
泣きそうになりながら食べたけど
泣くのは恥ずかしいから
それを悟られないように、みんなと食べた。
街の状況が落ち着くまで
私はしばらく先輩の家で寝泊まりした。
先輩は料理上手で毎日美味しいご飯を作ってくれて
先輩の彼氏は関東と仙台を行ったり来たりする仕事をしていたので
ニコチン切れの私たちに関東からニコチン(マルボロ!)も支給してくれて
有り難かったなぁ。
その先輩の家にはもう一人別の先輩ナースも毎晩来て
(その先輩はなんと震災の数時間前に彼氏と別れたばかりだった)
女子トークなんかして
実は私はとても楽しくやっていた。
仙台のアーケードを歩くと
酒屋のおにいさんが
『頑張りましょうね!』
とビールを破格の値段で売ってくれたり
私のことを心配した友達が何人も
『うちに来る?』と本気で言ってくれた。
※みんな私が彼と別れてボロボロなのを知っていたので
本気で心配してくれた。
当時はまじでメンヘラだったので…!笑
最悪な終わり方をした例の元カレからも
なぜかLINEが来た。
(※確かLINE、当時はLINEあったっけ?
※最悪な終わり方=殴り合い)
あの時は
仙台のみんなが助け合おうと必死で
寡黙な東北人が
なんなら道ですれ違う人、皆にハイタッチをしそうな勢いで
私は患者さんに助けられ
先輩に助けられ
クリニックのみんなに助けられ
そして私もきっと誰かを助けていて
はっきり言って、あの時の仙台は希望しかなかったし
ってか、今これ書いてて気づいたけど
大震災のおかげで私は失恋すら乗り越えられたんだ。
※マジで今思い出しても
全身全霊で失恋するほどの恋愛だった…!
私、あの時期が
とても楽しかった。
満ち足りたし
安心したし
希望しかなかったし
寂しくなかったし
『たぶん、私、大丈夫だ』って
何年かぶりに思えた。
なぜあの震災が
私の中で素敵な思い出なのか…?
ずっと、そう思ってしまう自分を不謹慎と責めたし
理解できなかった。
だが
今ははっきりと理解できる。
あの震災は
私たち仙台市民を一つにしたし
私たちみんながちゃんと繋がっていることを
憶い出させてくれた。
だからあの時の私は
あんなに心穏やかで平和だったんだ。
私、震災までは
不安神経症みたいだったんだよね。
で、勘の良い人は
私が何を言いたいかお気づきだろうが
今回のコロナも、おんなじだよね。
– つづく–
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