①幸せなふりをしないこと
②不幸なふりをしないこと
③自分に正直であること
(“私の解放日誌”より)
Netflixの『私の解放日誌』という韓国ドラマが、いちいち美しくてすごく好きです。
はい、ヒロインはめでたく素敵な人と結ばれました〜!
王子様とくっついて幸せになりました❤︎ちゃんちゃん、
というチープなストーリーではなく
(昔はそういうストーリーがすごく好きでした)
ヒロインが自分の黒い感情を誰にも押し付けず、
1人で孤独に淡々と自分の感情と向き合う姿が
とても美しかった✨
ヒロインが
『私は人生で一度も満たされたことがない』
『私の周りの人間はクズばかり』
と淡々と喋るシーンがやはり美しくて、泣いた。
泣いたのは、そのセリフすら全く不幸に感じなかったから。
だって、その怒りを誰にも押し付けていないんだもの。
自分を愛する、ということは
『どんな私もだーいすき💓』というテンション高めのものではなく
自分の嫌いなところをわざわざポジティブに変換するものでもなく
『毎日ハッピー💓みんな愛しています💓』みたいなアメリカのラブコメ的人生でもない。
自分を愛するとは
こうやって、真っ直ぐに自分の中にあるものを拾って
周りの人間を使ってそれを解決させようとしないこと、なのだ。
つまり、
自分を愛するとは
信じられないくらい淡々としていて
静かで静かで静かなのだ✨
海でもなく川でもなく、波ひとつない湖だ。
このドラマは、
いちいちスッキリしない。
ヒロインがいちいち何かを解決しようとしない。
そこが、すごく、いい。
暴走した男性性は
なんでもすぐに解決してスッキリさせようとする。
だから、
自分の中にモヤモヤとした感情が湧いてきた時に
それを黙って保持していられない。
他人からそれを埋めてもらおうとしたり
もしくは『はい、私は自分のモヤモヤをキャッチしました!はい!これで自愛しました!』と、すぐに終わらせようとする。
暴走した男性性が
くっきりはっきりとした分かりやすい絵画だとしたら
イケてる男性性というのは
抽象画を抽象画のままにさせてあげる状態、だ。
ぼんやりしたものをぼんやりとさせておく。
じきに、その輪郭はハッキリとしてくるから。
こんな偉そうに書いている私も
昔は抽象画なんて大嫌いだった。
抽象画を見て
『もっとはっきり描きなさいよ!』
『もっと分かりやすく描きなさいよ!』
『こんなの私にも描けそう!』
と思っていた。笑
はっきり、くっきり、結論は迅速に。
こんな在り方では
いつまで経っても『自分の声(女性性)』なんて聴けない。
自分の声を聴き終える前に
『はい、こういうことですよね!』と
勝手に結論づける。
早すぎるのよ😂
まるで哀しんでいる女に対して
『そんなこたいいから、今日の晩飯はなんだ!?』
と喚く男のように
まったく話を聞く姿勢がない。
→続きを読む私は自分を愛するとは
白黒つかないココロをそのまんまに保持して生活していくことだと思う。
白黒つかない、
いわゆるモヤモヤしたココロを持ったまま
朝、目覚める。
そしてそのココロと共に歯磨きをして洗顔をしてメイクをする。
そのあとは、そのココロと共に電車に乗って出勤して仕事をする。
ランチを食べる。同僚と会話をする。
そうすれば、いつかそのココロとか事象は
落ち着くべきところに、ちゃんと落ち着く。
『ふむふむ、あなた(←他人だったり事象)は
こんな風に落ち着くのね。』
といった感じで、すべてのことは
おさまるべきところに、おさまる。
何も、モヤモヤした気持ちを一生持ち続けろ、ということではない。
見つけられた感情は、そんなに長い期間、モヤモヤ継続することなんてできないのだから。
韓国ドラマに影響されて
今日の文章もかなり抽象的だから
ここまで読んで全く理解できない人もいると思う。
モヤモヤして気持ち悪い、と感じる人もいるかもしれない。
そんな人のために
分かりやすい例を挙げてみよう。
たとえば
彼氏が欲しい、という思いがあるとする。
でも現実では、彼氏どころか好きな人もいない。
この先、素敵な恋愛ができないのではないか?と不安がある。
そんな時は
『さみしいなぁ。』
『私って劣っているのかなぁ。』
と感じる自分をちゃんと野放しにする。
間違えても
『でも、あのスピリチュアルブロガーが
自分を愛すれば彼氏ができると言ってたし!
だから大丈夫!』
と自分を奮い立たせないこと🌹
(過去の私がよくやっていたこと)
自分のココロが今、
『この先も彼氏ができないかもしれない、えーん😭』
と泣いているんだから
変な風に励まさないこと。
だって、どんなに有名なスピリチュアルブロガーが
『あなたは絶対に幸せな恋愛ができます!』
と言ったところで、
そんなの分からないでしょう。
(というか、幸せな恋愛をしたい、の本当の願いは『私はこれでいいって思いたい』ってだけ。恋愛したいなら、そこを先に見ないとね!)
だから、他人の言うことで
自分が希望を持てることは
(ここではいつか自分も必ず彼氏ができるということ)
『そう、だったらいいなぁ。。。』
という程度に留めておく。
他人の言葉で、自分の気持ちを奮い立たせなくていい。
もちろん、これをやりたかったらやってもいいけど
私は他人の言葉で自分を奮い立たせるなんて
結局、それって私が他人の傘下ってことじゃん、
と感じるから、やらない。
他人の言葉を使って自分の気持ちを満たそうとしなくていい。
みんな↑コレ↑すれば幸せになれると信じてるけど、そうじゃないんだよ。
話しを戻します!
>そんな時は
『さみしいなぁ。』
『私って劣っているのかなぁ。』
と感じる自分をちゃんと野放しにする。
この『さみしいなぁ』『劣っているのかなぁ』というような
不安や恐怖から来る気持ちは
たいして重要ではありません。
重要ではないというのは
どういうことかというと
『重要でないから感じなくていい!』ではなく
『不安や恐怖由来の気持ちは、ぜーんぶ幻想だ』
『本当のことを知ってるように振る舞ってくるが実はそいつは本当のことを何も知らない』
ということです。
だから
幻想だと分かった上で、感じて欲しいし
幻想だと分かった上で、その気持ちと生活して欲しいのです。
だって、幻想だと分かった上でも
私たちはこんなにもそれを感じるでしょう?
今現在のわたしの場合
『私の解放日誌』というドラマの余韻が凄くて
ココロは切なくて泣いていたり感動しています。
そのドラマは
実際に私が経験したことではないのに
こんなに私の内面に響いています。
私はこんなに内面に韓国ドラマの余韻を響かせ、
なんなら『私はヨム・ミジョン!!』と思いながら
これから保育園にお迎えに行ってお風呂に入ります。
その後、夜ご飯を作って
子供の歯磨きをして寝かせます。
私はこれから、おそらく数日間のどの瞬間も
『実際には経験していないドラマ内の出来事と、そこから派生する感情』
と共に生活していきます。
そのドラマは
私にとっては『実際に起こっていない』ので幻想なのですが
幻想だからポイポーイ!!と、すぐにゴミには捨てません。
幻想だけど
こんなにも感じるから
幻想と一緒に生活するのです。
これと上記の
『さみしいなぁ』とか『劣っているなぁ』のような、
不安や恐怖由来の気持ちは
基本的に扱い方が一緒です。
幻想と分かった上で
決着のつかないその気持ちと生活をする、のです。
※大事なことは
『そいつは本当のことを実は知らない』という前提の上で感じる、ということです。
決着をつけない時間、から逃れようとせず
あえてそこで淡々と落ち着いてみるのです。
この姿勢が、
人生における一番の宝物💎なんです。
つまりね、
なんにも現実化を望まなくなった状態が幸せなのです。
『ま、こうなったらいいわね!』くらいで
普段はそんなこと気にもできないくらい
自分だけ見られるココロの在り方を幸せと呼ぶ、
と私は思っています。
Yuki
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