毎日安全に暮らせる家があること、
友達がいること、
それなりに趣味があること、
家族がいること、
食べたいものを毎日食べられていること、
朝コーヒーを飲みたいと思ったら自由に飲めること、
こうやって色んなブログを無料で読めること、
スマホがあること。
↑
これらも『豊かさだ』って頭では分かっているけれど
でも本当に心の底から、それが『豊かだ✨』とは感じられない。
今日のコンサルでは、そんなお話を聞きました。
私も属する(?)自己啓発/スピ業界では
『日常の中にある豊かさを受け入れよう!認めよう!
(そうしたらもっと豊かになりますよ)』
という風潮がある。
それを知識として受け取る私たちは
『そうか、これも豊かさだと思わなきゃいけないのね…』
『はい豊かさです!ありがとうありがとう(棒読み)』
と、がんばって『豊かさを感じている自分』になろうとする。
私も長い間、そうやって頑張っていた時期がありました。
『私は愛されています!』と唱えたりとか。
本心では
『私、ちっとも愛されていない!』と
ビンビンに感じていて
怒り💢と孤独で泣きそう😭なのに。
でね、
どんなときも
『自分が本当に感じていること』
『自分が本当に思っていること』
に嘘をつかないことが大事なの。
※他人にぶつけろ、という意味ではない
もしあなたが周囲の人から
『恵まれているよね〜』と言われる環境にあったとして
それでもあなたの本心が、自分が恵まれているとちっとも思えないのなら
(今は)それでいいんだよ。
ちゃんと自分の言っていることを聞いてあげて?
あなたの中にいる小さな女の子は
『恵まれてるだなんて私のことよく知りもしないくせに勝手なことを!』とか
『私はちっとも満たされていない』と言っていない??
どう思ってもどう感じてもいいんだよ。
その証拠に
私たちの内側には
思考では制御できない、色んな感情があるでしょう。
すべての始まりは『自分の内側』からなんだよ。
だから
自分の内側にある『豊かさ』を否定している人は
例え、銀行の口座残高が100億円になっても
絶対に豊かさを感じられない🌹
自分の内側にある『豊かさ』を無視している人は
例え、超絶理想の男と恋人になっても
その“外側の豊かさ”を受け止められず
自らその関係を壊していくんだよ🥀
自分の内側にある豊かさを見えなくしている人は
お姫様になって宮殿に住んでも
ずっと『私は満たされない』と言い続けるのだよ。
→続きを読む
じゃあ自分の内側にある豊かさって、なんでしょう❓
自分の内側にある豊かさ、とは
『感謝できる自分でいること』とも限らないし
不平不満を言わないことでもありません。
怒りとは無縁な自分でいること、でもないし
いつもニコニコご機嫌な人格者でいることでもありません。
私たちの内側にある豊かさ、とは
24時間365日、絶え間なく湧き上がってくる思考とか感情とか感性、なのですよ。
(つまりエゴちんも豊かさ😂)
よーーく自分を観察したことがありますか?
1日24時間の間でも
私たちは常に、
まさに到底数え切れないほどカラフルなことを感じて生活しています。
そして、驚くべきことに
私たちのココロは、誰にも支配されていません。
もし『いや、私のココロはあの毒親に支配されている』とか
『私のココロは休日でも会社に支配されている』と思っているとして、
毒親に自分のココロを支配させることを選べたのも自分だし
休日に会社に自分のココロを支配させることを選んでいるのも自分なのです。
文章にはできないのだけど
本当に!実に!大変驚くことに!
私たちのココロは生まれてから
ずーーっと自由だった、し
今も自由だし、
未来永劫自由なのですよ。
(↑この意味が腑に落ちると涙が出るほど感動します。この文章)
私は自分の内側とは
静かな気品ある森の中でこんこんと湧き出る『湧き水』だと感じます。
その湧き水は
絶対に絶えることがありません。
この世界が終わっても、その湧き水は永遠に湧き続けます。
↑
これが私たちの内面であり、
私たちの本質ですよ。
つまり、それが愛です。
そして
愛とは『怒り』や『不安』『恐怖』も含みます。
その、愛という湧き水は
喜びや穏やかや平安だけでなく
怒りや不安や恐怖も
マルっと包括するんですよ。
私たちが理想のお母さんにしてほしかったように
自分のすべてをマルっと一緒くたに包容する。
それが愛ですよ。
つまり💡
私たち人間が遠ざけがちな
怒りとか恐怖や不安、
そしてスピリチュアル住民が遠ざけがちな
不平不満、性悪で幼稚な自分、というのも
愛でしかなく
それらも『豊かさ』なんです。
なんでも感じられる豊かさ。
無数に湧いてくる豊かさ。
私たちの中に湧いてくるどんな感情も尊い、のです。
観察してみ?
四六時中、こんこんと感じているナニカが溢れ続けているから。
それが『豊かさ』です。
外側の物質や他人に豊かさを感じられず不満でいっぱいな時は
自分の中のある豊かさを無視しているだけなの。
自分の中にある豊かさは
世界中のどんなお宝とも比にならないほど尊いんだよ。
多くの人がやっていることは
自分の中にこんこんと湧き続ける湧き水の噴出口に
何層にも岩を重ねて、
湧き水が湧き出ないよう、
頑張って止めようとしているということ。笑
その湧き水はこの世で最も尊い飲み物なのに
それに目を背けて
外側のどっかから調達してきた泥水飲んで
『あーまずい!』と言っている。
そして、
湧き水は頑張って止めようとしても止まりません。
私たちが何層にも岩を重ねて
頑張って堰き止めてきた湧き水ですが
気を抜いた瞬間に、岩の隙間からちょろちょろっと流れてきます。
ついには岩が決壊して湧き水が溢れまくります。
感じるために生まれてきたというのに
感じることを拒絶したがるというニンゲンの不思議✨
ですが、もはや
感じることを拒絶したがることすら自由。
まぁ結局、最後はみんな感じることになるんですけどね💡どうやったって。
今は思えなくていいよ。
自分の内側に湧いている源泉が、世界で一番尊く価値がある、だなんて。
今は無理に、その型に自分を当てはめなくていい。
でも『私もそう感じて生活してみたい』って思ってくれる人がいたら、嬉しいな。
でさー!!!
また今日も韓国ドラマ“私の解放日誌”について書いていい??笑
※ネタバレあります⚠️
下の方にYoutubeのリンクもあります⚠️
とにかく主人公のミジョンちゃんの
自分との向き合い方が上手!!なの。
自分の中のどんな感情も、いちいち善悪つけないで
自分の中から湧き出てくる、そのまんま出してくるの。
痺れるほど美しいのよ。(泣く)
ドラマの中で
『私の周りの人間はクズばっか』と言うセリフが何度かあるんだけど
まったく不快感がなくてもはや感動すらする。
そしてどうやら韓国語で『クズ』は『ケーセッキ』と言うらしく
ミジョンちゃんが淡々と自分の湧き水を
『ケーセッキ、ケーセッキ』って静かに真顔で表現するのよ。
『何も起こらない、誰にも愛されていない』とも表現してくる。
こんなに正直な人、自分以外で久々に出会ったと感動するのだ。
そして『私も、もっと正直になれる』と思った。
ちなみにミジョンちゃんはノートに気持ちを書いて自分と向き合う作品なので、このブログ読者の皆さんと親和性がある作品と思われます。
ですがあまりに静かな作品なので思考をうるさくすることで自分を見たくない人は、観れないドラマだと思います。
↓こちらも私の心に残った言葉
なんで私は他のみんなみたいに無邪気に笑えないんだろう?
みんながカカシに見える。
自分が何者かも知らず演じ続けるカカシ。
もしかしたら何事もなく生きてける人は
こういう疑問から逃げてるだけかも
“人生はこういうものだ”と偽りに加担して
私は違う
死後に行く天国は必要ない
生きて辿り着きたい
私、職場でちょっといじめられたり
学生時代にハブられたことがあるので
ミジョンちゃんに、ちゃんと共感できる😂笑
(ハブられる=仲間外れって意味です。若い女の子は知らないかなと思って補足しとくね😂)
そして
私の場合、以前に『カカシ』を『ゾンビ』と表現していたことを思い出す。
↑数年前、まだ私がロンドンで結婚生活を送ってるときの記事ですが
あのときも幸せだったし今も幸せ。
あの時はあれでよかったし
今はこれが最高。
そんなことを感じる。
Yuki