■潜在意識と自愛

どうせやるなら愛ある現実創造【野口英世②】

↑この記事の続き。

 

せん

野口英世記念館には朝9時過ぎに到着したが
生理前の私は食欲が爆発していて

朝ごはんを食べたというのに
またお腹が空いていた。

 

記念館の隣の『ドライブイン』と記載がある飲食店が開いていたので
(こんな早くから!)
私たちはそのお店に入ることにした。

 

 

 

お店の中には男性客一人と
店主と思われるおじいさんが一人いた。

私はラーメンを注文した。

 

 

店内にはそこかしこに英世のポスターが貼っており
まさに『野口英世推し!!』と言った空間だった。

 

蕎麦を食べていた男性客が帰り
客は私たちだけになった。

 

すると店主と思しきおじいさんが
私たちのテーブルの横に座り
紙タバコに火をつけながら
『お客さんはどこから来たの?』
と尋ねた。

 

 

私が東京から来たと答えると
『東京のどこ?』と聞かれ
練馬の石神井公園の近くです!
と答えると

『あーあの環八のどこが』
と福島弁(会津弁?)で喋り始めた。

 

 

このおじいさん、見かけによらず
とても人懐っこいようで
いきなり自分の半生について語り始めた。

自分は昔小田原に住んで仕事していた。
猪苗代で生まれたが三男で居場所がなくて関東に行った。
知り合いが西武線の江古田に住んでいる、などなど

とにかく自分の人生について誰かに知って欲しそうだった。

 

人間というものは実はみんな誰だってこうやって自分のストーリーを知って欲しいのかもしれない。

だから私は書き続けているのかもしれない。

 

 

 

私がふと
『この辺に野口英世の子孫はいるのですか?』
と尋ねたら
おじいさんはクイッと右手で自分のことを指差した。

 

 

『え!お父さんは野口英世の子孫なのですか!!?』
『親戚かなにかですか?』
と尋ねると

おじいさんはゆっくりと
『野口英世の姉のシカさんの孫だ』と答えた。

 

 

 

えぇーー!?!?
あのシカさんの孫!?!?

あの…!英世のお姉さんのシカさんの…!?

 

 

私は興奮のあまり
『私、嬉しいです!!』
『私、お父さんとお会いできて嬉しいです!!』
とまくしたてた。

 

 

そしたらおじいさんは
『なんもなんも!!カカカッ!』
と恥ずかしそうに爆笑していた。
田舎のお爺さんの照れ笑いは最高にかわいい。

 

 

たまたま訪れた飲食店で
こうして偶然にも英世の子孫と会って
お話しできるなんて…!
こんな運命のイタズラがあるなんて…!!

 

 

 

気を良くしたのか
おじいさんは話し続ける。

 

『シカさんは子供が五人いた』とかなんとか話を聞かせてくれる。

『野口英世の弟の清三さんってのもいだ』
と言うから

『あ!そういえば清三さんは北海道の方に行かれましたよね?』
と私は言う。

これはもちろんあの本で仕入れた情報だが
見方を変えれば私はただの野口家のストーカー、
いや、ただの野次馬である。笑

 

 

 

 

おじいさんは
『北海道さいだったけんど
そのあとこっちさ帰ってぎで
今はその子孫は筑波にいる』
とかなんとか言っていた。

 

おじいさんの親戚の一人には
東大の医学部に入った人がいるらしく
私が
『やはり頭がいいのですねー遺伝ですかねー』
と言うと

おじいさんは
『みんな頭いいってわけじゃね。
何代かに一人、そういう奴がいる』
と言った。笑

 

東北の田舎の人にとって
東大の医学部なんて
冗談抜きで内閣総理大臣くらいの地位がある。

 

 

 

英世自身は昔、東大医学部にコンプレックスを持っていて
ある意味目の敵にしていたので
なんとなくこの話題も興味深かった。

自分の子孫が東大医学部に入ったと聞いたら英世はどんな反応をするのだろう?

 

 

 

 

 

私はお店を出るときにおじいさんに
『お父さん、最後に握手させてもらっていいですか?』
と尋ねると

おじいさんは
『うひゃー!!!』とびっくりたまげて笑
それまでのゆっくりとした動作からは考えられない速さで
サッと右手を出してくれた。

 

私は英世の血が流れているおじいさんと固く握手をした!!

 

 

 

 

 

黄熱病の研究で英世は有名だが
小学生の頃は黄熱病と聞いてもピンと来なかった。

だが大人になってコロナ大流行を経験した今
『伝染病の治療と予防に貢献した英世って人類の救世主』と思うし

何より当時の英世は
日本より海外での知名度が高く

英世の存在が世界中に日本人の熱心さとか研究の細かさ、丁寧さ、
そんなものを広めてくれたと感じる。

 

私にとって英世は研究者ではなく
世界中にJapanの魅力を宣伝してくれたナショナリスト、みたいな
そんな存在である。

 

 

私自身、過去に5年間ロンドンに住んでいて
フランスやイタリア、スペインにポルトガル、ウィーンなど
様々な土地を訪れたが

日本人であることで勝手に
『綺麗好きで丁寧で我慢強く優しい人』として見られた記憶がある。

それもこれも過去の日本人の先輩方が
世界中で素晴らしい行いをしてくれたからだ、と
その頃から感謝していたが
その先輩方の一人は間違いなく英世である。

 

英世のしたことは
ちょっと前まで鎖国をしていた日本と
世界を繋げるという偉業である。

 

 

 

普通だったら助手に任せる研究も研究材料を洗うのも
英世は全部一人でやり
その研究内容も細やかで
実際に見た英世の研究ノートは日本人らしい
『几帳面さ』が現れていた。

 

睡眠をほっぽり出して研究ばかりする英世は
完全に『努力の人』であり
そんな英世が母校に残した言葉も
忍耐
という、、なんとも彼らしいし
それと同時に私からするとちょっと重苦しいものを感じ得ない。

 

 

彼の忍耐という言葉は
母親から来たものでもあると思うし

もし英世が母親を捨てていたらどうなったのだろう?
と妄想してしまう。

 

 

英世はアメリカ人の女性と結婚したが
その妻との関係も
『協力しあった男女』とは言い難く
それは英世の両親の夫婦関係のコピーである。

 

 

パートナーシップの真髄って
協力しあって一人では創造できないものを二人で創造するもの、
だと私は思うのだが

英世の母イヌさんと彼女の酒飲みの夫の関係は
協力どころか不調和音って感じで
まぁあの二人は不調和音を共同創造したのかもしれない。

 

 

勝手な考えだが
英世が母親を捨てて
誰かと繋がることを視野に入れていたら
英世はもっと楽に生きられていたのではないか?
大好きな研究に安心と幸福のもと没頭できていたのではないか?
と思ってしまう。

 

しかしこれは英世の人生への単純なダメ出しではなく
彼の人生というストーリー、
彼のエゴちんに愛と敬意を払った上での
令和の私の意見である。

 

そしてここに男性的な現実創造
女性的な現実創造の違いが見える。

 

英世は完全に男性的な現実創造派だった。

 

 

私は心新たに
どうせやるなら愛のある現実創造だ、と誓う。

英世への敬意とともに。

 

 

 

 

記念館の最後の方に
英世が実際に使っていた絵の具のパレットがある。

英世は成功してからしばらくして
アメリカの郊外に別荘を持ち
(英世が生まれた磐梯山と似た山があるらしい)

晩年、研究に行き詰まったあたり
その別荘で絵を描いていた。

 

 

記念館では『多趣味な英世✨』と
これまた綺麗に紹介されていたが
あの小説によると

人生の終わりの方の英世は
思うように研究が進まずストレスを抱えていて
その中でなんとか自分を鼓舞し

ストレスから逃げるように絵を描いていたようだ。

 

きっと絵を描きながらも
英世の頭のどこかには
『研究』があり
『ここで失敗したら俺の研究が間違いだったと世界中から批判される…!』
という気持ちがあったのだろう、と
私は思う。

 

だから私はあの使ったまんまのパレットを見たときに
英世の焦りとか
名誉を失う恐れとか
そんなものと時空を超えて繋がった気持ちになり
じわっと涙が出てきたほどだ。

 

不思議なことに
英世の実際の研究道具とかノートとか
そんなものではなく

あのパレットを見たときに
私は一番英世と繋がった気がした。

 

 

人間は皆誰しもこうやって
他者と繋がる機能を持ち合わせている。

これは神の機能。

想像力
繋がる力(ワンネス)

この二つが神の機能。

 

英世は想像力は逞しかった。

 

どんなに周りにバカにされても
周りから田舎の農家は医者になれないと言われても
『医者になる』と言い続け実現した。

東大のエリートしか偉くなれない時代に
『有名になる、成功する』と言い続けそんな自分を想像し続けた。

 

英世が使わなかった神の道具に
『繋がる力』がある、と思う。

 

私はどちらかというと
『繋がる力』の方が得意だから
私と英世が合体したら
完璧になれそうだ、なんて思う。

 

 

 

 

遠い異国の地で
故郷の山と似た山のある別荘地で
世界的名誉を失う恐れを抱えながら、
あのパレットで絵を描いた英世。

 

野口英世はたしかに生きていて
彼のエゴちんが紡ぎ出すストーリー(人生)は
私を魅了する。

 

そういえばセラピストになったばかりの時
『こんなにたくさんの人の人生というストーリーを知ることに感動する』
と興奮した。

 

一人一人の人生は
その人のエゴちんが紡ぎ出したものであり
有名人であっても
そうでなくても
その価値は等しく尊い。

 

この『エゴちんの紡ぎ出すストーリー』を自覚を持って体験できることに
心から感謝と興奮とワクワクと崇高さを感じる。

 

哀しいことは
他人のストーリーに憧れ気を取られてばかりで
自分のストーリーを味わえないことである。

 

 

私は英世を通して
ますます自分のことが好きになった。

 

 

Yuki

 

 

 

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