■潜在意識と自愛

落ちこぼれでメンヘラの私が夢をどんどん叶えた。その始まりのストーリー

このお仕事を始めて10年が経過しようとしている。
最近また多くなってきた相談が
『好きなことを仕事にしたい』
『生きがいとか情熱注げることを見つけたい』
というもの。

昔の生活を振り返ると
今の自分の生活が

あまりに自由で
あまりに楽しくて
あまりにプレッシャーがなくて

まるでお砂糖でコーティングされたのか!?ってくらい

だが、長年の読者さんは知っているだろうが過去の私の生活は甘美とかキラキラとは程遠い。
無味無色の、まるでそこには私はいないかのような透明人間のような、そんな生活を送っていた。

自分らしさ、とか分かんなかったし。
っていうか私の自分らしさなんて『惨めでちっぽけでなんの魅力もないもの』だと、心の底から思っていた。

ここまで人生変わるの、すごくない!?!?

マジで潜在意識ってヤバくない🤣??

それもこれももう15年近く前からネットで『潜在意識』などについて発信してくれていた、まだ出会ったこともないみんなのおかげ様だよ。私、みんなに命を救われた。

私まるで別人だよ。
変わってないところは、下ネタが好きなところと面白いところくらいかな。笑
あと、麻婆豆腐好きなのもずっと変わんねーな😂野菜より肉が好きなのも変わんないな。

写真汚いけど5歳の私

いや、まるで別人と書いたんだけど、ちょっと違うな。
それはそうなんだけど、やっぱり私はあの頃のままなんだよな。まるで別人なんだけど、でも私はずっと変わっていないんだ。

変わったのは意識。ただそれだけなんだ。

💎思考(エゴちん)に主導権握らせてた頃の、頑張り屋さんでたまに発狂する可愛い私のお話

思い返してみると、過去の私の一番のコンプレックスって『やりがいとか生きがいがない』ということだったかもしれない。当時はそこまで自覚できておらずただただ『つまらなくて苦しい人生から誰か救い出して!!』と思っていただけだったが。

やりがいとか生きがいを感じられるものがないと何がしんどいかというと

『この世界には私を表現する術が一切ない』

と思い込んでしまうことだ。
それは生きている実感がない。まるでAIのようだ。Siriのようだ。

時間だけがサラサラと指の隙間を通り抜けてどんどんおばあちゃんの自分に近づいていくだけのように感じていた。
まるで『自分』を消費しているだけの感覚。
消耗して意気消沈するだけの毎日。
それは恐怖だ。

私の家族は私以外みんな、生きがいとかやりがいを持っている人たちだった。

パパは不動産の会社を経営していつも仕事に熱い気持ちで打ち込んでいたし、ママは美容師の仕事が結構人気になって私が6歳の時に自分のお店を出した。そのお店も結構繁盛していて母はお客さんのヘアカットもパーマも着付けも、お客さんとの会話ですらいつも楽しそうに行っていた。空き時間には着物と帯を用意して新しい帯の結び方のデザインを発明したりしていて、そんな母の姿からは『仕事が楽しくない』『仕事がつまらない』といったエネルギーをただの一度も感じたことがなかった。

妹は小学生の頃にはすでに自分のやりたいことを見つけていた。学校の参考図書との出会いを通してだったか、障がい児の先生になるんだ!と夢をみつけていた。そして実際に障害児教育を専門的に学べる大学に一発で合格して(すごい倍率なのに)そのまんま先生になって現在は生き生きと仕事をしている。

周りはみんな生きがいや情熱やワクワクの塊のような人たちなのに、私はと言えば、27歳くらいまで

に人生のすべてのほぼすべてのエネルギーを注いできた。
楽しいことと言えば、美容とか浜崎あゆみとか友達とのカラオケとかおしゃべりなどだった。
それはたしかに楽しくて時間を忘れるようなものだったけれど私は心のどこかでいつも母や父や妹のような人生が羨ましかったんだな、とこの文章を書きながら気づいている。
楽しみの時間はいつもすぐに終わり、重い足枷をつけた奴隷のような気分で労働していた。

23歳くらいのこと、いつものことだがまたまた恋愛で病んでいた私は母に電話で愚痴や不満をたらたらと訴えつづけ間接的に『私の人生はどうしてこんなに辛いのか』というメッセージを投げかけていた。
私の人生の楽しくなさとかやりがいのなさ、色彩の無さを母のせいにしたかったんだ。

その電話で母に『私は多少嫌なことがあっても昔から仕事に行けばすぐ忘れるよ』と言われて『いいな。。そんなに好きと思えるものがあっていいな。。。』と私の心の奥底が反応した。

これが私の脳内にいつもリピートされているセリフだった。

自分の家族もそうだし、テレビに出ているようなアーティストとか雑誌に載っているような一芸のある人とか情熱大陸に出られるほど情熱がある人たちは自分とは違う人種だと思っていた。だからもはや憧れることすらしなかった。

💎新卒10ヶ月で看護師辞めた。というかある日、もう出勤しないと決めた。

私は高校を卒業してからは看護科に進学したが、特に看護師という職業にやりがいを感じていたわけでもない。
特にやりたいことも夢もない私には母の『看護師は手に職がつくからいいよ』という言葉に従うことを選んだだけだった。

やる気もないので出席単位ギリギリで短大を卒業して国家試験は受かってしまったのでそのまま予定通り総合病院に就職した。

だが私が配属を希望した心臓血管外科病棟は稀に見るブラック病棟で残業は1ヶ月に100時間あり先輩ナースたちは意地悪に感じて仕事内容もちっとも楽しくなかった。それでも私が心臓血管外科を希望したのは『なんかかっこいいから』というただそれだけの理由で、就職が決まったときはママを喜ばせたくて『心臓血管外科に決まったよ!』とウキウキしながら報告したことを覚えている。

これは看護師辞めてちょっとニートした後にキャバクラで働いてた時の写真。楽しかったなぁ!

当時の私にとって仕事とは『生活費を稼ぐためのもの』『我慢や苦労をしてやっとお給料をもらえるもの』であり、私の潜在意識そのまんまの現実が現象化されていた。

やる気がないので仕事に精が出ない
やる気がないので必要な勉強もできない
やる気がないので仕事がテキトーになる
なんなら仕事をやらされてる気分にまでなって被害者意識まで湧いてきて、毎日悲しくて不安でイライラして、先輩や同僚への態度も最悪だったと思う。

中学校で不登校になったり問題児だった私は、

これ以上社会のレールを外れるわけにはいかない。
なんとか『普通の人』になって社会人としての責任を果たさなきゃ。

自分にそう言い聞かせていた。

21歳の私はこのマインドの重圧に耐えながら毎日毎日必死に生きていた。息抜きは給料日の買い物と友達とのお酒と、そして恋愛。

結婚してパート勤務になりたい
パート勤務なら好きでもない看護師の仕事でもやれるかも!
そして好きな人に愛されて子供でも産んだらやっと幸せになれるかも!

そう信じていたから

今の生活から抜け出すには結婚しか方法がない!!!

と、私はますます恋愛に依存していった。

仕事も恋愛も自分なりに気をつけて一生懸命やってるはずなのに、どっちも上手くいかなかった。

仕事の後は毎日深夜の道を泣きながら歩いて帰った。定時は5時なのに私の帰宅時間はいつも夜の11時くらいだった。時間が遅いから泣きながら歩いても誰にも見られないのは幸いだった。帰り道はセブンイレブンに寄ってパスタの麺とレトルトのパスタソースを買って家で茹でて食べた。

そんな生活をしていたのだが、

ある日私は仕事に行くことをやめた。

心療内科を受診して『仕事が辛いです』『涙が出てきます』とか言ったらすぐに鬱の診断書をくれて、それを理由に私はその日から仕事に行かないことにした。

心療内科に受診したのも計算のうちだ。
誰かに背中を押してもらわないと私は仕事を辞めることができなかった。

この『突然出勤しません宣言』から私は

頑張っても意味がない
一生懸命やればいいってもんではない

それを学んだのだが、

という疑問は残っていた。

どうやって生きていけばいいのかまったく分からなかった。

ただただ今日から職場に行かなくていいことが嬉しかった。
と同時に罪悪感があった。
社会のレールから外れる罪悪感。
ますます落ちこぼれになってしまう居た堪れなさ。

明日からあの先輩の顔を見なくていい開放感はとてつもなく私の気分を楽にさせたが私は心の中でずっと自分を責めつづけていた。

どうして私はいつもみんなができることをできないんだろう?
こんなんだから私はまともに恋愛さえできないんだ。

この頃は『好きなこと』なんて見つけようと思っていなかった。
今よりマシだったら、それでいい。
残業が少なくて人間関係がマシでいじめがない職場だったらそれでいい。
少しの嫌味とかは耐えます。
そんな気持ちだった。

その当時の私は未来の自分が

自愛道場とか開催したり
ブログに毎月数十万人が訪れてくれたり

そのへんの幼稚園児よりも圧倒的に自由な時間を過ごしている

だなんて夢にも思えなかったどころかそんな発想すらしたことがなかった。

でも私の心の奥のどこかで小さく

『私の人生こんなもんじゃない』
『私ってこんなんで終わるはずない』

というエネルギーみたいなものは常に燻っていた気がする。
そんなん、恥ずかしくて誰にも言えなかったけど。
だってはたから見たら、新卒10ヶ月で病院辞めて度々メンヘラ起こす女よ。笑

職場に『鬱病と言われたので仕事を休みます』と連絡をして、その後は職場からケータイに電話が来てもすべて無視した。ずっと無視をしていたら職場の看護師長と1個上の先輩が住んでいるアパートまで訪ねてきて、それすらも鬱陶しくて迷惑に感じて面倒くさくなって青森の母の元に帰った。

@青森

母に『鬱って言われて仕事行けなくなった』と言ったら、めちゃくちゃ怒られた。

だけどいざ青森に帰ると母はいつも通り空気を読まなすぎるくらい元気で、『人ってなんで生きてるんだろう』と言う私に対して

『あなたっていつもそんな難しいこと考えてるのー😂』

と笑っていた。

私が本当の自分を憶い出すのはまだもう少し後のこと。

続く✨

💎編集後記

久々にこの頃のことを記事にした気がする。
このときの私は、それはそれで一生懸命で可愛かったなぁ。
この頃の自分も大好きで抱きしめてあげたい。
そして改めて振り返ると人生のどんでん返しはいつだって誰にだって起こりうると確信が深まる。
今の私は感謝を忘れてはいけない。
愛されてない、恵まれていないと不満ばかり抱えていたけれど、当時の私も愛されていたし恵まれていたんだよなぁ。

 

 

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