『私は,私から湧き出てきたものを愛します』
※『愛』を勘違いしている人が多いけど
愛するとは『それで満足です!大好きです!』ではありません。
私のセッションを受けるみんなは
大前提として,このことを意識してほしいの。
この大前提がないと
私の書いているブログも
私の話している言葉も
何一つ、理解できないはず。
私のセッションは
現実をコントロールして理想にぴったりの形にしてから
やっと満たされましょうね❤︎
満たされない時が来たら、
また現実をどうにかこうにか動かして
人様もどうにかこうにか動かして
理想通りになってからやっと満足しましょうね❤︎
たくさん持っている人が優れていますからね❤︎
っていう方針ではないからね…!
見ないふりをしないで、
満足しているふりをしないで、
傷ついていないふりをしないで、
怒っていないふりをしないで、
平気なふりをしないで、
自分から湧き出たものを見てほしいの。
私たちから湧き出てくるものは3つある。
①思考
②感情
③現実
『私は人より劣っている』という思考も
『死ぬほど寂しい』という感情も
とっても不幸なように見える現実も、
どれも私たちの中から自然に湧き出てくるもの。
感情も思考も現実も
(何らかの理由があって)
自然と、それらは起きる。
大事なことは理由探しではなくって
(理由だなんて、ある一つのことだけではなく
さまざまな要因が関連しているから
原因の特定はできないし、しなくてもいい)
今、自分から湧き出ているものを迎え入れる姿勢。
自分から湧き出ているものに対して
スーパーwelcomeな姿勢…!
現実は創造するものではなく
自然に起きるもの。
自分から湧き出てくるどんな思考も
どんな感情も、どんな現実も
愛してみよう、って思ってほしいの。
『愛する』とは
『私は私のことが大好きです!』
『自信があります!』
『どんなことも受け入れます❤︎』
『これが今の私なんで、みんな認めてくださーい!』
という、ただのポジティブバカではないんです。
『愛する』とは
それが起きているんだ、と見ることです。
愛とは
それがそこに“ある”
と気づくことなのです。
恐れという感情が、あるなぁ。
↑自分に対して
こう感じたとき
あなたはその感情を愛しています。
彼氏にフラれてすごく悲しいなぁ。
↑あなたはその不愉快に感じる現実を愛しています。
こうやって書いてみると
『愛する』とは『降参すること』と同じだと分かる。
本当は不快な感情なんて感じたくないけど
確かに私は今、めっちゃ苦しいんだよなぁ。
本当は彼氏がいなくて寂しいなんて言いたくないけど
実は私、めっちゃ彼氏いなくて寂しいのよねー。
本当は自分がブラック企業で働いていて限界だなんて認めたくないけど
実は結構限界なんだよなー。
理想とは違うけれど
それは確かにそこに“ある”んだよなー
(;´◇`)ゞアチャー!!
参ったなぁ。
弱ったなぁ。
(ノO`)アチャー
これが自分を愛すること、ですよ。
これが本当の自己肯定。
『愛する』とはハイテンションなものではないのです。
『自愛』という言葉が流行ってから
もうだいぶ経ちますが
みんな自愛の意味を勘違いしている。
自分大好きです❤︎
どんな自分も認めまーす❤︎
自分を責めません❤︎
いつもポジティブでいます❤︎
今日もハッピー❤︎
↑このハイテンションな感じは
自愛ではないのだよ。
ただ、テンションが高いだけ。笑
ただただ、ふわちゃんなだけ。笑
テンションが高くてポジティブであることはどうでもよくて、
自分を愛するとは
真ん中を行くこと、だよ。
自分を愛しているとき
私たちは中庸にいるよ。
中庸にいるときは
ただ淡々と
『私はとても寂しいと感じているな』
『今の職場にいると息苦しさを覚えるくらいしんどいな』
と、静かに穏やかに現実を俯瞰できるのだよ。
それは本当は認めたくないことだから
胸がキュッとなるんだけどね(ノO`)アチャー
どんどんキュッとなっていこうよん!
自分を愛するとは
一切のフィルターを通さずに
自分を観察すること、なのです。
ただただ真ん中にいて
『私はいつも上司にビクビクして
ものすごい恐怖を抱えながら働いているな』
『そんな生活がもう3年続いているんだな』
『そんな生活、イヤだな』
と、観察するのです。
イヤなものはイヤだけど
たしかに、それはそこに“ある”んですよ。
もういい加減、
イヤなことを見えないフリすることを、やめましょうよ(ノO`)アチャー
自分から湧き出たものを愛さない、と決めている時
人は
目の前の現実から逃げようとしたり
他人や事象を何とかして自分の思い通りの形にしよう、
と頑張るよ。
例えば
好きな男と上手くいっていない現実を愛せない時は
人はなんとか男をコントロールしようと駆け引きをしたくなったり
他の恋愛で満たされようとする。
例えば
職場の人間関係が上手くいっていない現実を愛せない時は
何とかみんなに好かれようと頭で考えたり
もしくは『あの人が意地悪だから!』と誰かにずっと怒っていたくなる。
そういう生き方もドラマチックで悲劇的で紆余曲折あって
魅力的なんだろうから
そこを生きたい人はそのままでいいんだけどね。
その上で、あなたはどうしたいですか??
***
今朝、ジムでトレーニングしながら
こんなことを考えた。
3年前の私は
ロンドンのウィンブルドンの庭付き一軒家(4LDK/洗濯室付)で生活をし
夫と一緒に暮らして
ベビーシッターもいて
子育てにはたくさんの協力者がいた。
生活費も夫持ちだし
年に何度も海外旅行に行って
周りから見たら『ものすごく色々なものを持っている人』だったかもしれない。
今の私は
ウィンブルドンとは違って
緑も少なく道もゴチャゴチャしている練馬に住み
ロンドンにいるときはよく庭を訪れていたキツネの親子と会うこともなくなり
夫から毎月生活費をもらっているけど
3年前に比べたら
それはだいぶ、少ない。
ベビーシッターもいないし
いつでも子供の成長をシェアできる夫とも一緒に暮らしていない。
(ノO`)アチャー
なんだけど
今朝ジムで『3年前に戻りたい?』と自分に尋ねたら
自信を持って『ノー』と返答が返ってきた。
3年前より住んでいる土地も家のレベルも
育児のサポート体制も金銭サポートも
どれもレベルダウンしたけれど
私は今の、この、目の前にある現実を生きる自分を
結構、気に入っているんだ。
なんなら、3年前より
今の方がなぜかよほど自由を感じていて
よほど生きてるって感じるのだ。
たしかに、今の生活は理想通りではないけれど
(こうなったらいいなーって思うことはある)
私はね、なぜか自分に満足しているのです。
そこには
『これも結構悪くないよね(ノ▽`)アチャー』
という、陽気な降参があって
そしてその降参は
たしかにそれが“ある”という静かな悦びであり
強がりでもなければ
『こんな自分を愛します!』というポジティブ思考でもないのです。
自分を愛しているときの体感ほど
気持ちいいものはありません…!
自分から湧き出てくるものを愛しているときは
『これが私の人生★』と、自分に対して堂々としていられる。
もし生まれ変わりがあったとして
それでも私はまた『みうら ゆき』として生きたいな、と
そう思っている。
そのことが涙が出るほど嬉しい(ノ▽`)アチャー
LOVE is SURRENDER.
Yuki