みんな『自分』を生きている。

今日は5時に起床。

赤ちゃんの泣き声で目が覚める。

(ネントレの成果が実を結び

この間は、22時から朝7時まで

8時間ぶっ通しネンネに成功したのだが

最近またちょっと早く起きるbaby)

 

ミルクをあげて、赤ちゃんが寝て

居間のカーテンを開けると

空が真っピンク!!!

 

慌ててサンダルをつっかけて

半裸のまま(笑)ガーデンへ飛び出る。

 

 

ピンクと紫のグラデーション!!!

 

 

最高!の目覚めでした!!!

 

 

眉毛もちょうどよく退色してきたし

今週も頑張るぜー!!!

 

マイクロブレーディング3日目。カサブタが剥がれ始める

 

 

先日、Trinity Moon 1期生のオンライン講座がスタートしました。

 

 

『親に、老後の心配をしないで幸せな気持ちで過ごしてほしい』

『娘にはお金に苦労せずに幸せに過ごしてほしい』

 

講座中の公開セッションに絡めて

そんな願いを聞きました。

 

私はもう、随分と前に

『ママを幸せにしよう!』と思うことを卒業した。

 

■関連記事;【不幸な母】は全然不幸ではなかった。

 

 

大切な人に対して

『幸せに過ごしてほしい』と思うのは当たり前のことだ。

 

大切な誰かには

ドヨーンとした暗い気持ちではなく

穏やかで温かい気持ちで過ごしてほしい、と願う。

 

だが、忘れてはいけないことは

私たちは自分も含め、皆

『自分で自分の人生を選んでいる』という原則。

 

 

 

この原則は絶対だ。

だから『可哀想な人』なんて、世の中に、いないんだ。

 

 

 

もし

自分の親や家族が

貴女から見て『不幸な人生』を歩んでいたとしても

当人は、当人の意思でその人生を選んでいる。

(本人は意識していない場合も多いですが)

 

 

私たちにできることは

そんな『不幸そうに見える大切な人』をも、そっと見守ることだ。

少しだけ見守って

あとは自分が自分の人生に集中すればいい。

 

 

私たちがすべきことは

『そんな人生歩んじゃダメ!』

『そんな考え方しちゃダメ!!』

と、相手を捻じ曲げることではない。

 

 

『あの人の魂は、そんな人生から何を学ぼうとしているのかな』

と俯瞰して観察することである。

 

 

このブログのような怪しい(笑)自己啓発系やスピリチュアルのブログなどを読んでいると

私たちは『不幸そうに見える人』に対して

お節介をしたくなる。

 

※今までに何十人もそんな人を見てきた。

 

 

(不幸そうに見える)家族に対して

『それは自分を愛してないよ!』とか

お説教をかましたくなる。

過去の私もそうだった。

 

 

だが、実はそれは相手の人生への勝手な介入行為であり

それこそ『てめぇが自分を観ろよ』って話。

 

 

自分に集中して集中していくと

勝手に自分がどんどん輝いて

勝手に(不幸そうに見える)家族が

『どうしてそんなに貴女は変わったの?

私にも秘訣を教えて!』

と言ってくる。

 

こうやって尋ねられた時にだけ

私たちはその秘訣を伝えればいいだけで

それ以外の時は黙って自分に集中してればいい。

 

 

私も『潜在意識研究』が趣味なので

日常生活で人と関わると

その人の人生の背景や思いをついつい分析してしまう。

 

で、悩みとかを言われると

『こうしてああしてこうすればすぐ解決するのになぁ』と思うことがよくある。

 

 

だけど、私は本人から

『こうしたいんだけど、どうしたらいいと思う?』

と聞かれるまで、絶対にアドバイスをしないようにしている。

 

なぜなら上述のように

勝手に相手の人生に介入するつもりはないし

多くの人は悩みを言いたいだけで『ホンモノの解決策』なんか求めていないんだ。

 

 

そんな人に『とっておきの秘訣』を伝えたところで

馬の耳に念仏であり

こちらも無駄に労力を使うだけになる。

 

 

 

また、

『我が子を幸せにしてあげたいから』

と、あれこれ我が子に手を焼くことは

親子関係の癒着を産む。

 

どういうことかというと

子の魂が成長する瞬間、を奪ってしまっている。

 

子が幼い時は

それなりに手をかけることは必要だが

親がすべきことは

『子供が不幸にならないようあれこれ手を焼くこと』

(具体例;金銭面の援助や先回りして障害を取り除くこと)

ではなく

『どんな状況にあっても、その子がその子でいられるような関わり方』を育むこと、だと思う。

 

それは私たちも同じで

『これから自分の人生に嫌なことが一つも起こりませんように!』

と願うのではなく

『どんなときも私は私を愛します!』という覚悟である。

 

 

つまり

『どんなときも、その子がその子でいられるような関わり方』

というのは

親自身がどんな時も自分でいる、そのあり方を観せればいいだけ。

(あらまぁ、簡単!)

 

 

子供は、親の在り方をしっかり見ている。

親本人よりも観ている。

 

 

お勉強をして高偏差値を取るように導くことは教育ではない。

日本にはお勉強だけできて自分の頭で考えられない人が大勢いる。

 

 

真の教育とは

自分の中から自分だけの答えを導き出せるような内観力のことを言う。

 

 

日曜の朝は毎日、この鉄橋から電車の見学をしている^^

 

 

いつまでも『本当の太郎』と繋がって

この地球に幸福を振りまいてほしいな^^

 

いつも、ありがとう★

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