自分が誰かに『捧げた』ことに価値をつければ
私たちは『愛されない』という現象は体験できなくなる。
今の時代の人間の悩みって
大きく二つに分けられて
一つはお金の悩み。
そして、もう一つが人間関係の悩み、だと思う。
人間関係の悩みって
その対象が親であれ子供であれ
パートナーであれ上司であれ同僚であれ
一言で言うなら
『私は愛されていない。だから愛されたい。』なんだよね。
私はこれだけあなたに捧げたのに
あなたからはちっともお返しがない!
↑これがすべての人間関係の悩みの元。
![](https://yuki.style/wp-content/uploads/2023/01/iStock-1409749005.jpg)
だから人間関係で悩まなくなるための解決策はシンプルで
『私はこれだけあなたに捧げました』
『私が捧げたいから捧げました』
↑
ここで終わりにすること。
『私がこんだけあなたに時間とかエネルギーを注いだのに、それに見合うお返しがないなんて許せない!』
こうやって相手に要求し続ける限り
私たちの『愛されない物語』は終わらないし
死ぬまでそれを続けるの?
今まで人類が楽しんできた
『愛されない物語』を終わらせようよ。
これを終わらせると
戦争も人殺しも、全部なくなると思うんだよね。
じゃあどうやって愛されない物語を終わらせるのか?
繰り返しになるけれど
それは『私はあなたを愛しました』『私はあなたを愛しています』
ここで終わらせること。
どんなストーリーも
ぜんぶ、自分の中で終わらせるの。
お母さんから愛されなかった、
お母さんが私を認めてくれなかった、
夫が気遣ってくれない、
彼氏が素っ気なくて不満がある、
子供が嘘をつく、
上司がいつも認めてくれない、
こんなことでヤキモキするのは
『私はあなたを愛しています』
『故に私が自らあなたに捧げました』
という、本当の目的を忘れているから。
そして
『捧げた自分』を誰よりも
自分自身が一番評価していないからなのだ。
→続きを読む
![](https://yuki.style/wp-content/uploads/2023/01/iStock-1451851568.jpg)
忘れないで。
私たちの本当の目的は
愛されること、ではなくって
愛すること、なんだから。
この本当の目的を忘れると
『私がこれだけ与えたんだから
一刻も早くお返しをください!!』
となる。
相手に『貸し』を作って
『私がこれだけ貸したんだから
返してください!』と、なる。
タチの悪い借金とりみたいになる。
『私はあなたを愛しました』
↑
ここで物語を終わらせれば
私たちは傷つくことなんて、ない。
傷つく、という体験ができなくなる。
傷つく、という体験が幻想であることが分かる。
傷つかなくなるから
私たちは『無敵』になる。
無敵になる、というか
本来、元々私たちは無敵だったのですけどね。
![](https://yuki.style/wp-content/uploads/2022/11/5BF7E3C7-846B-4130-982D-4C171563E58B-300x158.png)
そうやって無敵になることを
無償の愛、と言うんじゃないかな。
前回の記事に貰ったコメント。
![](https://yuki.style/wp-content/uploads/2023/01/IMG_1130-254x300.jpg)
嬉しいね。
本当に、そんなにお返しが必要でしょうか?
本当にお返しがないと幸せになれないんでしょうか?
![](https://yuki.style/wp-content/uploads/2023/01/IMG_1131-300x300.jpg)
私の言う『毒親』って
子供がその親を見たときに『うちの母ちゃんなら、何があっても大丈夫だろうなぁ』と思えない親のことです。
毒親育ちの人は
『私は愛されていない』と強く思いがちだけど
(そしてそうやってちゃんと綺麗事なしで自分を観れるのは、それはそれで素晴らしいこと)
でも『愛されていないと感じている』とか本当はどうでもよくって
『私は愛することが難しい親をあんなにも愛したんだ…』と
自分の愛の大きさに感動すればいいだけなんです。
たまに、どこか他の人が提供している教え(?)とかで
『あれも親の愛の形でした』
『だからあなたも親に愛されていました』
と締めくくって
それを受けた人たちが
『私も愛されていたんだー!』と
なぜか喜んでいる光景を見かけるけど
『あなたも親に愛されていました』とか
『あなたはパートナーに愛されていました』とか
そんなのは特別必要ないと私は思うんだよね。
昔々、私も
『母親に愛されているワーク❤︎』なんかをやって
イメージの中で母親に愛されること、をやってみて
確かに心はふんわりしたんだけど
誰かに愛されている私だと嬉しい、
で終わるのは
なんか、ちょっと、惜しい、
というか違う気がする。
誰かに愛されている私、という
他人目線の自分を見ている限り
私たちは物語を終わらせられないんだよ。
![](https://yuki.style/wp-content/uploads/2023/01/iStock-1437339119.jpg)
私たちは今ここで
誰かを愛した自分、を
自分で思いっきり評価してあげればいい。
お母さんを愛した自分、
男を愛した自分、
会社の役に立とうと会社を愛した自分、
そんな自分に価値を与えられるのは
自分だけ。
『私はこれだけ与えたけど
何もお返しがないので
与えた私には価値がありません』
と言えるのも自分だけ。
誰かを愛した、
その愛した人に思いっきり捧げた、
そんな自分に
世界中の富を集めても足らないほどの価値を感じてみればいい。
ちなみに、2021年末の世界の資産の合計は
530兆ドルらしいので
日本円にすると
68,123,815,000,000,010,00円だそうです。笑
(1/18 現在)
さて、ここで
『愛しただけでお返しがない自分に価値はつけられない』
『やっぱり愛されていない私は価値がない』
と感じた人は、これからも愛されない物語を楽しむ羽目になるけど
その覚悟はできてるかい??❤︎
↑最後、ちょっとした脅迫っぽくなったね!ガハハハハ。
![](https://yuki.style/wp-content/uploads/2023/01/iStock-1409749005.jpg)
Yuki