例えばある女性は
毎週のように彼から花束をプレゼントされ
毎日『愛しているよ❤︎』と囁かれ、
1時間おきに彼から『愛しているぜ★』とLINEメッセージが届きます。
そうするとこの場合
多くの女性が同じ立場になったら
『あぁ、私、彼からとっても愛されてるなぁ』
と認識します。
彼の、自分に花束をくれる、という行動や
彼の『愛している』という発言、
その時の表情とLINEメッセージの頻度と内容を見て
女性は勝手に
『彼の心は私の愛で溢れまくっている』
と、推測します。
勝手に、彼の心を推測して
勝手に結論づけています。
ですが、彼の心は目に見えません。
現実世界で物理的に彼の心を
彼のどこかから取り出して
そこに『自分への愛』があるかどうか、
確認することは不可能です。
私たちはこうやって
常に、
本当はあるかどうか分からない相手の心、
というものを勝手に推測して
勝手に判断して
勝手に一喜一憂しています。
『世界には私1人しか存在しない』
とは、こういうことなのです。
他人の心と思考は,実は存在しない、
という可能性は十分にあるのです。
私たちが現実で確かに見ることができるのは
他人の心ではなく
他人から発せられる言葉や行動です。
じゃあ、他人に心がないとして
その他人から発せられる言葉や行動は
どのようにしてそこに現れているのでしょうか?
他人から発せられる言葉や行動、
他人から発せられるものは、
すべて
私たちの意識が創っています。
もう一度言いますけど
これが
世界には自分1人しかいない、ということです。
この認識を9年前に知った私は
だからこそ、
『よし!今日からは他人のことをジャガイモとかニンジンと思うようにしよう!』
と決めたわけです。
だって、他人の心は存在しないし
他人から発せられるすべてのものは
自分の意識が創っているから、です。
だから、他人の心を推測するってのは
野暮なこと、なんです。
他人の心を推測するのではなく
他人の発信を受けて
私はどう感じたかな?
というところだけが重要なのです。
私はどう感じたのかな?を見ていくと
他人のその発信を起こした、自分の思考(エゴ)が見えてきます。
だから私のメールセッションではしつこく
『その人に言いたいことは?本当はどう感じた?』
『いやいやまだそれウワベだけの言葉でしょ?本当はどう感じたわけよ?』
と掘り下げていくわけです。
次回は恋愛/パートナーシップ系
(あらゆる人間関係に通じます)について書く予定で
そこにも話題に出ると思うけど
好きな相手の心を推測する、って
本当に本当に野暮なこと、なんです。
『他人の心』は存在しません。
別の言い方をすると
他人は存在しません。
私たちが『他人だ』と認識しているその人は
私たちの思惑通りに、ロボットのように動いている物体、
にしか過ぎません。
もはや、人間ですらありません。笑
あなたが今読んでいるこの文章も
あなたは『Yukiさんが書いている』と信じていて
『Yukiさんはこんなことを考えながら書いているのかな?』
と想像しているかもしれないけど
この文章も、
Yukiではなく
あなたの意識が創り出した創作物です。
あなたの世界には私(Yuki)は存在しません。
ただ、思考とか心を持っているように見えるYukiという人間、が存在しているように見えるだけ、です。
私はどこにも存在していません。笑
そしてYukiのように見えるその人間は
あなたの思惑通りの文章を書いています。
他人は存在しない。
だから、人の目を気にするなんて野暮なんです。
存在しないものを気にしてどうするのさ?
ねぇ、どうするの??おい!笑
とは言え、私自身
元々非常に人目を気にして
ついには精神疾患も発症した人間でしたから
この『他人は存在しない』という概念を取り入れることは
簡単ではなかったのです。
でもその時私は
『他人はいない、ってきっと本当のことに違いない!!』
と信じたのです。
なぜなら他人は存在しない、と感じてみると
何だか心がウキウキするような、安心するような不思議な感覚があったからです。
だから自分自身に
『他人はみんなジャガイモでありニンジンだ!』と言い聞かせました。
満員電車に不機嫌そうに揺られてる人間も
みんな、ただの野菜。笑
あの怖い上司も
ただの、野菜。笑
新宿を早歩きで通過する群衆も
たくさんの野菜。笑
(当時の職場が新宿だったので)
存在するのは私だけ。
そんな風に感じた時
私の中から生まれたのは
圧倒的な無敵感、でした。
Yuki
P.S
ウォーー!!こういう話を書くのが死ぬほど楽しいぜ!!!