続き🩵
⬛︎コトバが強いとなぜ愛されるのか?
あのね、コトバが弱い人っていうのは率直に申し上げると
他人から“もらうことばかり考えてる人”
なのね💡
自分のコトバを思い出すつもりがないので、そうなると自分の中身が空っぽに感じる。
その空虚さを埋めるためにどうするか?というと、自分以外の他人から言葉を得ようとするんだよね。
他人から“もらうことばかり考えてる人”、ってのは要は
『わたしゃあ、与えること(愛すること)しませんけど、お前は私に与えてね💞』
っていう人のことなのね。
つまり、“もらうことばかり考えている人”っていうのは
人間関係=搾取すること/されること
って潜在意識下で定義づけているのね。
他人=敵
と認定してるわけだ。
で、世界はその定義通り展開されていくので
搾取した私(だが本人は無自覚なことが多く搾取していることに気づいていない)と、そんな私にぴったりな人がどんどん現象化されていくのね。
例えば、なんだけど
『恋愛=相手から愛されるもの(与えてもらうもの)』と潜在意識で設定している場合、同じような搾取男が現象化されるのね。
でも本人は自分が搾取屋さんだなんて無自覚なので
『なんで私はいつも男に振り回されてばかりなの!?』
『蓋を開けてみたらとんでもない男だった!どうして私、気づかなかったの!?』
『こんなに頑張ってるのになんでいつも都合よく扱われるの!?』
って思うわけ。
で、コトバが弱い人ってーのは
『相手からどう見られているか』を、ものすごく気にするのね。
なので彼に優しい言葉を言ったり優しい態度を取ったり尽くすようなことをしていたとしても、それって『彼と信頼と愛で繋がりたい💞』という純粋な思いというより
『こうやったら彼によく思ってもらえるよね?』
『これしたら相手に愛されるよね?』
っていう、そもそもの目的が
搾取
なわけよ。
※私もそうだったよ。無自覚の泥棒さん
で、無自覚の泥棒さんは愛あるまともな他人には絶対に相手にされないのね。
※実体験済み
なぜならまともな人間は搾取屋さんの雰囲気をいち早く嗅ぎとり
『あ、こいつヤベーな🏃♀️💨』
って全速力でダッシュで逃げるわけ。でも逃げる際に正直な理由(君は泥棒さんだから無理!勘弁!)と伝えてくれる人はほぼいなくて、相手は皆なんとなくテキトーな理由を言って離れていくのね。
仕事が忙しいとか、それっぽい理由でなんとなく茶を濁すわけよ。
なので自分が無自覚な泥棒さんでいる限り、
穏やかに愛を交換し合えるまともな相手とは人間関係を築くチャンスがもらえない
という事実を受け入れる必要があるのね。
で、自分が無自覚な泥棒さんだった場合
そんな自分の相手を逃げずに務めてくれるのも
同じく無自覚(もしくは自覚してる)な泥棒さん
なわけよ。
そんな二人の関係は安心感とは程遠く、なんだかハラハラドキドキして(それを恋愛感情と間違えることもある)いつも落ち着かないんだよね。
『いつか自分が見捨てられるんじゃないか?』
『少し放置すると浮気するんじゃないか?』
『相手が何を考えているか分からない』
『私と会ってない時何してるんだろう?』
なんて悩んだりする。
本来この悩みって、恋愛関係において
一切体験する必要のないこと
なんだけど、X見たりYahoo!知恵袋見てると、こんな話題ばっかだよね。
※当方、XとかYahoo!知恵袋見るの大好きなんです。
職場で人の目を気にして気が散るのも無自覚な泥棒さんの証拠であり、つまり
自分さえ良けりゃそれでいい
っていうマインドの現れ、なんだよね。
日本では『私、人の目が気になって💦』というお悩みに対して
ありのままのあなたでいいよ🥰
繊細なんですね🥰HSPなんですね🥰
インナーチャイルドがどーのこーのですね🥰
と、ちょいポジティブな見方をしているように私は感じるんだけど
実際のところ人の目を気にするというのは
『こういう言動すればあなたは私を認めますよね?』
『ここまでやれば認めますよね!?』
『オイ!ゴルァァァ!認めろや💢』
という、潜在意識下の脅迫事件であり笑
全然ポジティブに捉えるもんではないんですねー。
ではコトバが強い人はどんな人だろう?
私はこれまでの人生でコトバが弱い人、コトバが強い人、両方に合って関係してきた。
30歳くらいまでの私は断然コトバが弱い人、だったので
マインドの窃盗
を散々繰り返して、で、窃盗することに注力した割には効果が出ない(愛されない!!!!)ことに気がついたので、やっと窃盗を卒業できました。笑
ずっと寂しかったよ。
コトバが弱い人が自分のことばっか考えてる人だとしたら
コトバが強い人っていうのは相手を喜ばせたい人、なんだよね。
泥棒さんじゃなく与える人
それがコトバが強い人です。
そういう人たちは
『嫌われたらどうしよう』
『変に思われたらどうしよう』
みたいなマインドがないので
ただただ私と過ごす時間を楽しんでくれるんだよね!!
で、私もしっかり楽しくなって嬉しくなってたくさんおしゃべりして最後は風のように爽やかに素敵な余韻を残していくんだよね💞
そういう人ってやっぱり魅力的で素敵でまた会いたくなってこちらもその人を喜ばせたいな!って自然と思えちゃう。
私は今までそうやってコトバの強い人たちにたくさん支えてもらいました。
私がまだまだコトバが弱くて腐っていても、そんな人たちの愛に触れて自分を取り戻すきっかけを何度も頂きました。
彼らは私たちの本来の状態である『愛』に繋がっている。
で、愛って私たちの内面にしか、ないの。
自分のコトバを思い出すことは自分の内面に繋がることなんだ。
そう、愛に繋がることなの。
コトバの強い人は
他人は敵ではなくて味方で、他人を愛することは楽しい
と知っているので、人生そのものが楽しく満ち足りているので泥棒をする必要がないんですね。
これ、言い方を変えると
居場所があると感じられている
ってことなんだよ。
そう、コトバが弱い人が本当に欲しいのは居場所、なんだ。
◾️愛そうとして自己犠牲する人
で、こういうことを書いたり伝えると
中には泥棒さんの男性に対して『与えよう』『愛そう』とする人がいるのだけど
泥棒さんへの正しい対処法は
『お前、それ違うくない??』とバサっとはっきり境界線を引くか、もしくは『さよーならー🖐️』と立ち去るか、その2択なんだよね。なので支配の強い毒親みたいな人からもサッサと離れることを私はおすすめするの。
自己犠牲して他人を愛する人(いや、それは愛ではないのだが笑)は、優しい人に見えるけど、蓋を開けてみると
自分のことしか考えてなくて他人はどーでもいー!!
ので、全然優しくないのね。愛がないのね。
自己犠牲して子育てしてる母親の『こんなに色々やってあげたのに!』とか
『誰が学費を出したと思ってるんだ!』という父親とか
『あんなにワンオペで家事も仕事も頑張ったのに浮気されるなんて!』とか
『生活費を出してもらっているからなんだか申し訳ないと感じる』っていうのは
愛でも優しさでもなんでもなくて
こんだけやったから、私ここにいてもいいよね?
っていう、単なる自分都合の確認作業であり
こういう人は確認作業に忙しくて
相手と繋がって喜び合う気が毛頭ない!!
(のくせ、自分のこといい人と思っちゃったりしているパラドックス!!!!!)
私は過去にプロの窃盗だったので(比喩ですよ笑)こんなにバッサリ言い切れるのね。
そう、この記事は過去の私の描写なのです。
で、エゴちんの基本設定は
『奪いたい』
なので人間には皆こーゆー弱さが兼ね備わっているのね。
だからこれは恥じることでもなんでもない。
堂々と認めればいい。
いやー!まいった!私、窃盗してた!!!!
って認めればいい✨
これまでどんなに窃盗していたとして、たった一言
『ごめんなさい』
すればいい。
みんな両手広げて温かく受け入れてくれる。
そしてあなたは思い出す。
『居場所は最初からあったのだ』と。
居場所をなくしていたのは自分自身で、自分が積極的に壁を作って世界に距離を置いていたのだ、と。
世界を敵認定していたのは自分だと。
↑これに本当の意味で気がついた時には
お涙頂戴の号泣感動事件で
なぜ感動するかというと
愛される人生は自分で作れる、
と、主導権握れるからなんだよ✨
人生を自分の手に負えないもの、みたいに思っている人は多い。
この思考は私たちに無力感を抱かせ、
なりたい自分になること、
やりたいことをやること、
人を愛すること、
を私たちに諦めさせる。
でも、愛される人生は自分で作れる!!と気がつくと
『人生手に負えない感』は消え失せ
生きる=楽しいこと
と、潜在意識が書き換わる。
目がキラキラするような、そんな人生を送りたくない🥰??
◾️Yukiがなぜマインド窃盗犯になってしまったのか!?
↑この問いに対する答えはただ一つ。
親子関係(キッパリ)
私たちは親の人間関係を真似するから、親が泥棒さんっぽい場合、自分もそう学んじゃうの。
これって仕方なくない?笑
だから窃盗やってたとして自分を責める必要はないわけ。
メールセッションではこれまでの自分の人生の人間関係を(潜在意識下で)書き直す。
私がやりたい愛し方ってなんだろう?って結果的に身に付く。
今までいた搾取し合いの世界がどんなにしんどいものだったか気づくから辞められる。
本来の自分を取り戻す。
本来の自分=与える人=愛する人
不思議なくらいみんなから愛される。
居場所探しはもう終わり。
恋愛も友達関係も、そのほかの人間関係も、その目的は『居場所探し』ではなく
感動とか愛、
みたいなものになる💞
あなたは愛されるのが当たり前になっているけど、今となってはあなたはもう『愛されること』に特別な興奮は抱かない。
なぜならあなたにとって最も幸せなことは愛すること、だから。
愛することは嬉しい。
みんな仲間だったって気付くことは楽しい。