2024年甲子園⚾️
青森山田高校、ベスト4!!ありがとう😭💞
(甲子園大好き青森県生まれ女より)
ぶっちゃけ、青森山田高校。
今年は甲子園優勝行けたと思います😭
なので私、死ぬほど悔しいし甲子園見て泣いていたんですけど
選手の皆さん、熱い夏をありがとうございました(感涙)😭
今年の夏はオリンピックもありましたが
男児の母親の醍醐味の一つが
『早い時期から一緒にスポーツ観戦できる!』ことかもしれません。
うちの太郎は小学1年生ですが、
やたらとスポーツ観戦好きなことが発覚し
今年はオリンピックのバスケと卓球、そして甲子園を一緒に応援しまくって非常に楽しかった😭
二郎は何も分からないながらも5歳児なりになんとか頑張って
『ブラジル!アウトー!』など、なんか適当に叫んでてそれも可愛かった😭
私また一つ、夢ができまして
それは息子と甲子園球場に応援に行くこと!!です。
いつか青森勢を絶対に応援しに行こうと思う!!
んで私このまま行ったら
息子たちがスポーツやった暁には
内村航平のお母さんみたいに、すんげーステージママになるかも…
なーんて思ったり自分の意外な一面を発見したのでした…😳
(元バスケ部のマネージャーであの時も選手のサポートするのがめちゃ幸せだった。姉御肌を全力で発揮した!)
さて、本当は甲子園について、あと3000文字くらい語りたい気持ちがあるのですが、このサイトに来る読者さんは潜在意識関連の情報を取りたくて今日もこのサイトにご足労いただいたはずです。
なので、苦渋の決断ですが私の甲子園執筆欲はなんとか抑えて本題に入ろうと思います。
✍️で、自愛っていったい何?
はい、今日も自愛について書いていきます。
こんなコメントが来ました。
私は自愛のために様々な講座を受けてきました。
けれどいまだに自愛できないんです。
やっぱり自愛しかないとやってみる→続かない→そんな自分をさらに嫌う、というループを何年も繰り返しています。
とち狂ってます・・・!
自分を受け入れている、愛せている人の感覚が、本当に本当に本当に謎です。
自分を受け入れたい、愛したいのに、いつもできません。
それは私が「自愛をやりたくない」からなのでしょうか?
拗らせすぎている、捻くれ者の自分に嫌気が指します。もう本当に嫌いです。
私の中に理想とする自分像があって、それと真逆な自分がどうにも受け入れられず、完璧だと思えません・・・
ユキさんは、『どんな私も完璧』ということを、どのように心に浸透させていきましたか?(過去ブログにあったらすみません。)
私の返信↓
『どんな私も完璧』をどのように浸透させたか?は今日は書かないけれど、その代わり
『そもそも自愛とは何ぞや?』
という内容を書いていこうかな、と✍️
世の中で言われている自愛でありがちなのが
- 疲れたら休む💞
- マッサージに行ってリラックス💞
- 自分の心の声を聞いてあげる💞
- 自分を大事な存在だと感じてみる💞
- 美味しいケーキとか食べたいものを自分に食べさせてあげる💞
など、
なんていうか、軽いっていうかチャラいっていうか
どこか掴みどころがないっつーか
ただのふわふわ自愛
ただのお遊び
みたいな感じなんだよね。
まぁ、こういうお遊び系自愛も効果はないわけではないが
これまでの人生で、がっつり自分否定してきた人がこんなお遊び自愛で人生変わるか?!って話なのよ。
変わらんのよ。
そんなお遊びで現実変わんねーのよ。
ちょっと可愛い洋服買ったからって、そんなんで人生変わんねーのよ。
✍️潜在意識美人®︎の自愛!!
とはいえ、私も『自分を愛する』という概念を知った当初は
マッサージ行ってみたり
休日はよく眠ってみたり
美味しいものを食べたり
そういうお遊び自愛をやっていました。
ですが、全然現実変わんなかったのね!
ずっと彼氏欲しかったんだけど、
せっかくマッサージ行ってせっかく美味しいもん食ってるのに
全然まともな彼氏ができなかったの!!
段々と私、イライラしてきました。
『こんなに自愛がんばってんのに、ちっとも現実変わんねーじゃねぇか💢』
散々一人でイラついていたら
私は、ふと
『もしかして私のやってる自愛は間違っているんじゃないか?』
と思うようになりました。
マッサージ行ったり休みたい時に休めばそれでオッケー👌自愛かんぺき👌と思い込んでいた私でした。
私は自愛をしているつもりでした。それなりにちゃんとやってるつもりでした。
なんだけど私は疑ってみたんですね。
『自分を愛するってもっと違う感じなのかもしれない…』
『そもそも愛ってなんだろう?』
『自分を愛するって、どういう感覚なんだろう?』
そこから紆余曲折あり、試行錯誤し
自分なりに書籍やネットの情報を読み漁り
私は一つのことに気が付きました。
『愛とは、その人のことを知りたい、と感じることではないだろうか?』
『愛とは、その対象に真っ直ぐ興味関心を注ぐことではないだろうか?』
✍️あなたが大好きな人から欲しかったものはなに?
私の大好きな人はママや彼氏、でした。
私は考えてみたのです。
私はママから本当は何が欲しかったのだろう?
私は彼氏に本当は何を求めていたのだろう?
私が彼らに求めていたもの、私が本当に欲しいものは何だろう?
私が、私の大好きな人から欲しかったものは↓これ↓でした。
・私への興味関心
・『私(Yuki)のことを知りたい!』という真っ直ぐな私への興味関心
・私が何が好きで何が嫌いで、どんな時に嬉しくてどんな時に悲しくて、悲しい時はどうすれば私が喜ぶかに関心を持ってくれること
これが私の欲しいもの、でした。
別に彼氏からのプレゼントとか旅行とか、そんなん人間関係において重要じゃないんです。
別にママからのプレゼントも学費も習い事をさせてくれたかどうかも、そんなんどうでもいいんです。
※実際私は家庭が裕福だった時代はフルートや塾など習い事をたくさんさせてもらって家族旅行もしょっちゅう行きました。
私が本当に欲しかったのはただ一つ
『あなた(Yuki)のことを知りたい』
と、一切のジャッジなしで真っ直ぐ私に関心を持ってくれる眼差し、でした。
つまり、私が欲しい『愛』とは
一切のジャッジなしに真っ直ぐに対象(私)に興味関心を持ってくれること、でした。
これに気がついた時、私は
自愛とは、一切のジャッジなしに真っ直ぐに自分に興味関心を持つこと
だということにも気がつきました。
それまでの私は『愛されたい!愛されたい!』と言う割に
(愛されたい=他人から自分に興味関心を持って欲しい)
私自身は全く私自身に興味関心がありませんでした。
彼氏にフラれて私が悲しい思いしていようが、そんなことより早く悲しい感情を感じないようにするために他の男見つけなきゃ!
とか
自分がどんな結婚生活を送りたいかどうかは関心がなくて、そんなことより男性に好かれるために料理教室に通わなきゃ!と本気で思ってました。
自分がどういう男が好きで、パートナーとどんな生活を送りたいか?にはそこまで興味がなく、『ただ愛されていればいいや』くらいにしか自分のことを見ていませんでした。
自分の想いより、男性に好かれるために恋愛マニュアル本を読み漁っていました。
自分の想いとか願いを丁寧に見ることより、とにかく『愛されるために』がんばっていました。
『愛』が何かも分からずに。
つまり自分が何を欲しいかも分からずに、ただひたすらに何かぼんやりしたものを欲しがって見当違いな努力をしていました。
私は自分に興味関心がなく
だけど自分を否定することだけは一流レベルに得意でした。
自分のことが嫌いだったから興味関心がなかったのかもしれませんが。
✍️『欠点だらけの私は矯正されなければならない』という潜在意識
私は
自分が何が好きで何が嫌いで
どんな時に悲しくなってどんな時に寂しくて
どんな時に幸せを感じるのか?
ほとんど興味が持てませんでした。
なんなら、
『そんなに自分のこと知ってどうなんの?』
って本気で思ってました。
現実(他人)の形に合わせて自分の形を変えて矯正することばかり考えていて
まさか自分には一切の矯正が必要なかった、なんて知る由もなかったのです。
なぜならそれまでの人生で私は
『自分はそのままでいてはいけない』
『私の考えや感情は間違っている』
『よって私は矯正されなければならない』
と思わされてきたからです。
そもそもの私の意識のベースが
『私は矯正されなければならない』
『私は更生されなければならない』
『私は是正されなければならない』
の塊だったので
私は『いかに自分を直すか?正すか?』しか考えられなかったのです。
自愛をしても上手くいかない人は
意識の根底に
『私は矯正されるべき存在である』
=だから、ありのままの私の考えや感情は価値がなくて無視するべき
という意識が絶対にあります。
今回コメントくれたるろうさんも、この意識が確実にある💡と断言しておきましょう。
✍️メールセッションの威力
あんなに自分に興味関心を持てなかった私が、自分に愛を注げるようになったのは当時私が受講していた、潜在意識のメールセッションのおかげと言えましょう。
はじめは
『うわー質問たくさん!めんどくせぇ!』
『こんなに質問攻めするより、とにかくパパッと現実変えてくれよー』
と、超絶怠慢な気持ちでメールセッションに取り掛かっていた私ですが
メールセッションのシートと向き合う時間が増えていくについれて途中から
『へー!私ってあの時、こんなふうに思ってたんだ!』
『私ってこういう優しいとこもあるのか!』
『私ってこんなにあの人のことを恨んでたのか!』
『あいつのこと殺したいくらい憎かったよな🤣』
など、自分の思考と感情に出会うたびに好奇心が刺激されるというか
なんだかマジで自分のことが愛おしく感じるようになってきたのです。
自分のことなのに、まるで自分ではない感じ、
と言いましょうか。
私の中からは、よく突拍子もない思考や感情が飛び出してきて
(例えば、内村航平のお母さんみたいになりそう😱とか、いきなりタトゥーをどうしても入れたくなるとか)
自愛を開始してから、私が世界中で一番目を話せない人間は
『わたし』一択
なのですね。
世界最高峰のエンターテイメント、
それが『わたし』という存在であり
ある日は笑っていたかと思えば
別の日は怒っていて
また別の日は扁桃炎で寝たきりで怪しい漫画を読んだり、
私は今日も彼女から目が離せません。
彼女は来月にまた突拍子もない面白いことをやるので
(彼女はちょっと緊張してドキドキしているようですが)
ますます目が離せない。フジテレビ全盛期の月9、みたいな感じなんですよ。
もしくは全盛期の金八先生ね。上戸彩が出てた時ね。
メールセッションは、
・これまでの人生の総棚卸し
・これまでの自分の内面の総棚卸し
なので、嫌でも『私そのもの』に意識が向いて強制的に自分に興味関心を持たされます。
これが知らぬ間に『超強力自愛🪄』となって現実が自分にとって都合よく変化していくのでしょう。
ただ、メールセッションがすべての人に有効であるとは限りません。
私はメールセッションのセラピストを開始してもうすぐ10年になりますが
この10年間の中でメールセッションの効果が出ない人にももちろん出会っています。
メールセッションの効果が出ない人、
つまりメールセッションやっても自分を愛せない人、
メールセッションをやっても一向に現実が変化しない人、には共通点があります。
その共通点をまとめると、だいたいこんな感じ↓
- そもそも自分の感情や思考にさほど興味がなく、とりあえず現実変えたい!とにかく現実変えたい!という意向しかない人(思考や感情を見ないと現実化しないのに、現実だけ見ているのは潜在意識的に御法度です!)
- 『自分の感情とか見るの、めんどくせー』と、そもそも自愛をする気がない人
- やたらと物分かりのいい自分を演じているため(本人は演じている自覚なし)誰かに嫌なことされても『ま、そういう人もいますよね』とクールぶる人
※怒れない人 - 自愛したいと言いつつ『自分を好きになってそれで意味あんの?』と思ってる人
- 自愛しようとしても、現実面で男性に孤独感を埋めてもらう習性と経験があるため、どうしても男性に埋めてもらう意識から抜け出せない人(←ある程度モテがちな女子に起こりがち)
こればっかりは本人の意識の問題なので、いくらこちら側から働きかけても無意味なのですね。
だって本人が自分を愛するつもり、ないんだもん。
自分を愛するの、めんどくさいと思ってるんだもん。
それを強制することは私はしないし、強制されたところで自愛できるわけでもないのです。
ですが、もしその本人に
『私は自分のこと大好きな人生を送りたい!そして自分を幸せにしてあげたい!』という気持ちが40%はあれば、自愛は必ずあなたの人生を爆上げ💥します。
(そういう方はメールセッションの効果がガツン💥と出る。ちなみに40%という数字は、なんとなくの私の体感です)
ってなわけで今日は、決してゆるふわではない、
潜在意識美人®︎Styleの自愛について語ってみました。
🩵9月スタート,自愛道場もうすぐ20名🩵