潜在意識やスピを学んでいる人、ほぼ全員が混乱するのが
『現実を変えようとするな!』
という、この業界のメッセージではなかろうか。
かつての私もそうだったが
潜在意識やスピ業界に足を踏み入れる人というのは
『現実世界でなんかうまくいかないことがある』から
この業界に足を踏み入れたわけだ。
つまり
この現実世界を変えたいから潜在意識業界に足を踏み入れたのに
この業界では
『上手くいかせたいなら現実を変えようとするな!』
なんて言われる。
何を隠そう、私もそう断言するメンバーの一人なのだが
多くの読者さんの葛藤と混乱を全身で察しながらも
でもやはり声を大にして言いたいのだ。
『現実を変えようとするな』と。
『現実を変えようとするな』の同義文にこんなものがある↓
- お金を得たいときはお金を欲しいと思ってはいけない。
『お金が欲しい』と思うような現実が創造されるから。 - お金がないと感じる今この瞬間から豊かさを感じよう!
- 今この瞬間から(望む現実が来てなくても)幸せを感じよう!
- 今この瞬間から(望む現実が来てなくても)感謝しよう!
- (恋愛成就したい人へ向けて)『たとえ現実世界に彼氏がいなくても、素敵な彼氏に愛されている時の自分の感情をイメージしてその感情に浸ろう…!!』
この業界に足を踏み入れて、
まだ新人ホヤホヤだった頃の私は
上記のような文言を目にして
非常に混乱しました。
【かつての私】
『お金欲しい、と思ってはいけない。彼氏欲しいと思ってはいけない、っとφ(´・ω・`)メモメモ』
↓
↓
(気合い入れながら)
『お金欲しくありませんっ、彼氏も欲しくありませんっ…!!!!!(キリッ)』
↓
『うぉぉぉー!!!無理だっつーのー!!!💢💢』
↓
大混乱、大パニック
とまぁこんな感じで何百回も爆発していたわけです。
爆発しながらもなんとか潜在意識の教えにしがみつきたい私は
『それでも我、彼氏求めぬ、お金求めぬ、、グヌヌ…..』
と歯を食いしばりながら
武士の心意気で、エゴちんに挑んでいたわけです。
かつての私と同じような心意気で、今日も武士の如く潜在意識に挑んでいる読者のために、改めてここで
なぜ現実を変えようとしない方がいいのか
書いていこうと思う。
まぁ回答は至ってシンプルなものです。
『望む現実は私たちが作るものではないから』
『望む現実は私たちには作れないから』
です。
『望む現実』という表現も、正確に言うとちょっと間違えているのですが、今回はみんなが欲しい現実のことを『望む現実』という言葉で表現させてもらいます。
なぜ『望む現実』という言葉が間違えているのかというと、
私たちがエゴちんの支配圏から抜けたとき
私たちが観測して体験するのは『望む現実』ではなくて『望んだ以上の現実』だからです。
💎なぜ現実を変えようとしてはいけないのか?
現実を変えようとしないことを私がオススメするのは
『望む現実は私たちが作るものではないから』
『望む現実は私たちには作れないから』
という確固たる理由があります。
『望む現実は思考である私たちには作れない』のです。
じゃあ誰が作ってんのよ!その望む現実とやらを!!
という声が聞こえてきそうですが
それを作っているのは
神であり宇宙であり源でありソースであり愛であり、ウンタラカンタラ…
なのですね。
このウンタラカンタラを私は『本当の自分』なんて言ったりしますが。
とにかくこのウンタラカンタラの威力というか智慧というかパワーは凄まじいのですね。
💎望んだ以上の現実はどのように『起こる』のか。
先日、とある女神ちゃんとコンサルしたのですが
先月私は彼女に『なんかこれやりたい!と直感で感じたこと、なんでもいいからやってみて』とお伝えしました。
で、先日のコンサルで女神ちゃんは
『昨日、餃子をなんとなく作りたくなって作ってみた』
と言いました。
でね、ここでエゴちんが騒ぎ出します。
『こんなことやって意味あんの?』
『餃子作って私の願い叶うわけ??』
とかなんとか。
ですが、先ほども書いたようにウンタラカンタラの威力というか智慧というか、凄まじいわけです。
例えばこんなことが起こります。
なんとなく作った餃子の写真をインスタに上げたら気になってた先輩から“俺、めっちゃ旨い餃子屋知ってるよ!今度行ってみない?”とお誘いがあり、とんとん拍子でなぜか付き合うことになった。とか
餃子を食べ過ぎてお腹壊してドラッグストアに大正漢方胃腸薬を買いに行ったら、そこで昔の上司に出会い、超好条件で転職が決まった!新しい職場は給料もいいし、なんとそこで素敵な彼もできちゃった💞あ、この間その彼と結婚決まりました💞
なんてことが、普通に起きるのね。
分かりますか?この思考には想像もつかない現象化の凄さが。
本当にこんなことばかり起きるのです。
ですが私たち大人はこの厳しい現実社会でまともに人様に後ろ指刺されないように暮らしていくためには
- ちゃんと計画して
- リスク管理して
- 計画を実行して上手くいかなかったら改善点を考えて
- その改善点に基づいて計画して
- また実行する
と、常に
自分の(思考の)力でなんとか事を前向きに進めるよう教育されます。
そのため常に思考をフル回転させ
『どうやったら自分にとって好ましい現象化を起こせるのか』
を自分で考えています。
つまり
自分の(思考の)力で、現実を変えなければいけない
と、私たちの潜在意識に深く刻み込まれているってわけです。
ですから、この業界に足を踏み入れたみなさんも
なんとか自分の(思考の)力で現実を変えようと
今日も鼻息荒く潜在意識の情報を回収しまくってるわけですね。
この業界でよく言われている
『現実を変えようとするな』
という文言の意味を噛み砕いて書くと
どうせうちらの思考(エゴちん)にゃあ、現実を良き方向に変える手段も方法もまったく分からないのだから、いくら現実変えようとアレコレ手を打ったところで無駄なのだよ
という感じです。
更に書くと
思考(エゴちん)が現実を己の力で変えようと思えば思うほど、それは神(充足)の介入を拒絶することになり、充足がもたらされづらくなるんだよ
ということです。
神はうちらにしっかり愛ある境界線を保ってくれているので
思考(エゴちん)が『それ、私やりまーす!!』と主張すればするほど、神は
『そうかそうかわかったよ。おいらの出番はないのね。引っ込んでおくよ、愛しい我が子よ』
と、超絶温かい眼差しで私たちを愛してくれているのね。(ジーン😢✨)
💎それでもどうしても思考で現実を変えようとする人たち
要は、エゴちんが出しゃばると私たち自身が半端なく疲れる上に結果が出づらい。
めちゃくちゃ非生産的で非効率なことなのです。
でも、これを聞いてもきっとなかなかエゴちんの出しゃばりをやめられない人がいる。
そういう人は自分(エゴちん)の力に自信を持ってるんだと思う。
自分(エゴちん)の力でこれまでやってこれた、と壮大な勘違いをしている。
そういう人はこれまでの人生で『自分の力で成し遂げたと思ってること』を全部捨てればいいんだよ。
- 『私は自分の力でこんな幸福を体験した!』
- 『私がこんなに頑張ったからたくさんお金を稼げた!』
- 『私がアレコレ思考で考えて計画して実行したからあんなに素敵な彼氏ができた!』
- 『私が頑張ったからいい大学に入れた!』
これ、全部捨てるんだよ。
捨てるっていうのは、この思い出を消す、ということではなく
これらのハッピーな出来事は私の力ではなく神によって与えられたものだ、
と、自分の手柄を手放すんだよ。
(これをエゴちんは嫌がります)
かつての私は、自分(エゴちん)の力に自信を持っている部分が結構あった。
と同時に、自分の非力さも強く感じていて、矛盾があった。
今の私は他者から見たら自信があるように見えるだろうけど、実のところ、この自分の思考にはまったく自信がない。自信がないというか信じていない。相手にしていない。どーしよもねーなーと思うこと多数。
反対に、私は直感(私の体に響く神の声)を圧倒的に信頼している。
直感は『今日はこれとこれをやって、1週間後はこれをやればあなたは現実を好転させられますよ』という時間軸に沿ったアドバイスは皆無で
『これ、やれ✨』
と、その場その場で行き当たりばったりに
ピコン🚨
と現れてくる。
だから私はなぜ今、自分がこの記事を書いているのかも分からないし
なぜ昨日、いきなり食べたくなって豚の角煮を作ったのかも分からない。
なぜいきなり行きつけの歯医者への通院を辞めて家から徒歩3分の歯医者に変えたのかも分からないし、これから先の人生プランもまったくない。ビジネスやっている人は事業計画を立てたりするそうだが、そんなんやったこともないしやりたくもない。
💎ウンタラカンタラがそれをどのように“起こす”のか観察して体験するだけ
私は、これからまた神が何を“起こす”のか、まったく分からないと同時に『なんとなくこうなるんだろうな』というのが直感で分かっている感じがある。
私たちの思考は、それをどう“起こす”のか自力で方法を考えるためにあるのではなく、私たちの思考はそれがどのように“起きる”のか体験するためにある。
なので私は大抵、神様が揺らしてくれるゆりかごの中の赤ちゃんみたいな気持ちで、時空間でゆらりゆらりとただ心地よさを感じている。
私は何にも分からない
私は何も成し遂げていない
私は失敗も成功もしていない
私は何も分からないけどなぜかぼんやりとビジョン(景色)が見える
私たちは無力だったのだ
人は『私は無力だ』という言葉を言うとき、そこに哀しさや悔しさを滲ませるが、私がここで言う
私は無力だ
というのは、哀しさや悔しさとは無縁で
『え!本当にこれからは頭使うことなーんもしなくていいの⁉️いやっほーい!!』
という感じである。
小学生男子が金曜日の放課後に帰宅と同時にランドセルを放り投げて『いやっほーい!!』と外に飛び出す感じ。
金曜夜は宿題サボってもいいもんね笑
私は無力であると同時に、私はとてつもない智慧とパワーがある。
思考の私は無力であり、
神の子供である私はとてつもないパワーがあり
だから現実は想像した以上に豊かなものがやってきて当たり前だ。
現実は己の力で変えられないのだよ。
この事実は希望である。