あなたは、もしかして
自分がいつか『死ぬ』と思っている?
仮にあなたが私と同じ37歳だとして
そうすると、あなたは、もしかしたら
『自分はあと40年〜50年くらいで死ぬんだ』
そう思っているかもしれない。
今日はそんなあなたに、
一つの問いを投げかけるよ。
『もしあなたが死なないのだとしたら、どうする?』
→続きを読む
なんで、私たちは当たり前のように
『自分はいつか死ぬ』と思っているのだろう。
『死』の反対語が『生』だとしたら
そもそも、
なぜ私たちは自分が『生まれた』と思っているのだろう?
なぜ私たちは自分が『生きている』、
そして『生きているからには必ずいつか死ぬ』
と思っているのだろう???
時間は
過去→現在→未来、
と一方的に流れているのではない。
時間は『今』しかない。
時間が
過去→現在→未来、
と一方的に流れている、と思い込んでいるのは
私たちの『思考(エゴ)』だけ。
時間は『今』しかない、という大前提があるのだから
過去に自分が『生まれた』とか
未来に自分が『死ぬ』ことは、ありえない。
そう考えないと、辻褄が合わない。
本当のスピリチュアルは
ちゃんと辻褄が合うようになっている。
『今』あなたがそこに存在して
この文章を読んでいるのだから
あなたが『死んで』
あなたの存在がなくなる、ことは
絶対にありえない。
そしてあなたが生まれてくる前は
あなたは『存在しなかった(無かった)』ということも
絶対に、ありえない。
と、なると。
両親が私の命を創り出した、
というのも
エゴが生み出した、単なるストーリーであって
それは『本当のこと』ではない。
両親があなたを『生み出した』のではなく
あなたが両親を『創り出した』ということになる。
そう考えないと
辻褄が合わない。
しかしここまで聞いても
多くの人は納得できないだろう。
『だって私の赤ちゃんの頃の写真あるし!』
『私がお母さんのお腹にいたときのエコー写真も残っているし!』
そう反論したくなるはず。
で、ここで思い出して欲しいのだけれど
時間は『今』しかない。
『今』しかない、ということは
あなたが認識している過去は
あなたの思考(エゴ)が創り出した単なるストーリー、
ということになる。
あなたが
『私はあのお母さんから生まれた』と信じている、その過去は
ただ単に
あなたの思考(エゴ)が創り出したストーリーにしか過ぎない。
あなたのその、赤ちゃんの時の写真も
あなたの思考が創り出した産物に過ぎない。
つまり
あなたはあの親から生まれていない。
これは、親との関係がうまくいっていない人を慰めるための戯言ではなくって
本当にあなたはあの親から生まれていない。
ただあなたの思考が
『私はあの親から生まれた』とストーリーを創っている。
このようにちゃんと辻褄を合わせて考えていくと
前世もないし
(前世のストーリーもあなたの思考が創り出した)
死んだ先祖のカルマとか、そんなのも存在しない。
だから先祖供養は必要ない。
でもファミリーのイベントとしてお墓参りとかに行くのは全然いいと思うよ。
ちょっと楽しいしね!
でも、あなたが
『絶対に先祖のカルマがある!
先祖供養しないと大変なことになる!』
と決めていれば、
あなたの思惑通り
自分以外の何かに翻弄される現実が展開される。
先祖もあなたが創り出したのだ。
私たちの思考の大きな勘違いは
『私は生まれた』
『生まれる前に私は存在しなかった』
『今生きている私は、いつか死ぬ』
『私はいつか無になる』
というものだ。
そして人は
『いつか自分は無になる』
つまり『自分という存在は有限である』という
誤った定義のもと
日々生活するようになる。
『いつか自分は無になる』
これは思考(エゴ)が最も恐れていることだ。
エゴにとって一番怖いこと=『死』である。
『死』は存在しないのに
エゴは『自分はいつか死ぬ』と思っている。
(※つまり
不足は存在しないのに
エゴは不足前提の世界を作って
その中で苦しんでいる。
私たちには充足しかないというのに…!!!!)
そしてその『死』を予感させるものが
エゴにとっては、
愛されなくなること、お金がなくなること、などだ。
不足感を抱くものから、エゴはすぐに死を連想する。
『誰かに愛されなくなること』
『愛されないと私は死んでしまう』
『お金がなくなってご飯を食べれなくなること』
『お金がないと私は死んでしまう』
そもそも私たちは生まれてもないし
死んでもないのに
思考が、エゴが
勝手に
『いつか死にますよ!!大変だ!!』
『なんとかせねば!!』
と慌てている。
こうやってエゴの様子を俯瞰して見ると
エゴちんもなかなか可愛いものだよね。
エゴ(思考)の誤った大前提は『不足感』です。
この世界は『必ず何か不足しているはずだ』という在り方、です。
そして不足感のボスは『死』です。
しかし、その『不足』は元々存在しませんでした。笑!!
そう、私たちは存在しない敵とずっと戦ってきたのです…!!!
マジで私、お疲れ様!!って感じですよね。
大事なことを書きます。
『不足』は存在しません。
不足が存在しない、ということは
私たちが愛されない、なんて起こり得ない、ということ。
(そう感じる現実を作ることはできる)
不足が存在しない、ということは
私たちが豊かではない、ということは起こり得ない、ということ。
(そう感じる現実を作ることはできる)
不足が存在しない、ということは
私たちはなくならない、ということ。
あなたが死なないとしたら
あなたはどうやって今を生きますか?
人って
『どうせ自分はあと数十年で死ぬさ』
と思っているから
今日を粗末にすると思うんだよね。
『どうせなくなるんだから』
『どんなに頑張っても不足にしか行きつかないんだから』
→だから今を楽しんでも無駄でしょ?
→だからみんなと同じそこそこの人生を生きればいいんでしょ?
↑↑これ、いつまで続けるのよ〜。
自分は有限だと思うから
みんな自分の素晴らしさに気づかないんだよ。
自分のことを有限だと勘違いしているから
みんな自分のことを『全知全能のやばい存在』って思い出せないんだよ。
『自分はなくならない』
そう思った方が、自分を見つめようという気持ちになりませんか?
自分の価値を感じてみよう、と思いませんか???
命が有限だと思っていたら
自分を無価値と思うのは当たり前じゃないかな?
こんな怪しいお話を『叶えるもん』でやっていきます。
私、6歳の頃から
ズーーーーーーーーーーット、
『なんで私は生きているんだろう』
と疑問だったけれど
37歳になって
全部分かって
人生最大の謎が解けたので
とてもスッキリしています。
Q
『なんで私は生きているんだろう』
A
『そもそも生まれていない』
この道路も
あの都営バスも
よくすれ違う近所のおばさんも
西武池袋線も
スーパーも
電信柱も
電線も
車の騒音も
あそこのマツキヨも
あの古本屋さんも
私のママも
私のパパも
妹も
友達も
クライアントさんも
目の前のマックブックも
太陽光も
冷たい雨の滴も
信号機も
ぜーーーーーーーーーーーーんぶ
私のために用意されてると思い出すと
たまにちょっと感動して泣きたくなるし
大抵の時は、
くすくすと笑いが込み上げてくるんだよ。
面白くて、ギャグのようで
仕方ないの。
マスクしていてよかったなぁ、と思うの。
だって私が1人でクスクスしながら歩いていたら
みんな怖いよね?笑
たぶんさ、
本当の私(魂)って
そうやっていつもクスクス笑ってるんだろうね。
思考や感情を司っている
個人としての私たちのことを
馬鹿にして笑っているのではなく
本当の私という存在は
いつも軽い♪んだろうな。
クスクス笑ってる時
私たちは真剣になれないし
なんだか軽やかだよね。
ギャグ漫画読んで
深刻に悩めないのと一緒。
つまり
本当の私たち=ギャグ漫画的在り方
ということになる。
すべてある、とはそういうこと。
すべて完璧、とはそういうこと。
すべてある、とは
『不足がない』ということ。
『不足がない』とは
願いは叶うということ。
さ、個人としての私、Yukiは
これからもたくさんの笑える下ネタをお届けして
皆さんに軽やかな魂の波動を届けたいと思います。
Yuki