綺麗事ぬきで、
私は女の人たちに幸せになってほしいと思っています。
女の人みんなが好きなことをやって
お家では太陽みたいに笑っていて
会社でも太陽みたいに輝いていて
ピッカピカのニッコニコの明るい日本になればいいな、
そう思います。
そんなお家で育った子どもは
安心して遊べるし、安心して好きなことを見つけられます。
そんな女の人の近くで働く男の人は
いつもの緊張と負担から解放されて
また明日から頑張れます。
そうしたら
国全体がニッコニコのピッカピカになって
国民全員が楽しくなっちゃって
病気も減るから社会保険料の支払いも減るし
みんな仕事が楽しくて続けるから年金の支払いも減るし
責任の押し付け合いのような会社も消滅して
国民全員が安心して楽しく働けるはずです。
そんな日本になったら私が楽しいです。
たくさんの女の人と
楽しいことや可愛いものについて語り合いたいです。
私がセラピストとして起業して8年。
私のセッションは
お話をただ聞くだけのものでもなく
優しく傾聴するものでもなく
その人の一番見たくないブラックな部分に突入します。
ですから、一般的なセッションとかカウンセリングより
私にとってのリスクは高いです。
人は『自分のブラックホール』を見ようとすると
抵抗しようとするから
恨まれたり反発されるリスクが通常より高いです。
でも、私は毎朝目が覚めたら
『よし!今日もセラピストYukiをやろう』と思うし
明日の朝も10年後の朝も
『セラピストYukiをやろう』と思って生きていきます。
私がなぜこんなにリスクの高い仕事を毎日やり続けるのか?
それにはちゃんと理由があります。
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私のファンキーな生い立ちを知っている読者は多いと思いますが
知らない方のために簡単に説明をします。
私は37年前に
青森の田舎で生まれました。
母は25歳で未婚で私を出産し
私の父は、その時60歳でした。
父は地元で不動産会社を経営しており
私の母の他に、何人もの女性との間に子供をもうけていました。
ですから
父の妻?側室?は、10人以上いたと思うし
私の腹違いの兄弟は20人はいるかと思います。
父は週に2-3回ほど、私と母と妹が住む家に帰ってきて
それ以外の日は他の側室(?)の家に帰宅していました。
私は幼い頃から
母が、父の他の側室に嫉妬する様子を見てきたし
他の側室から我が家にイタズラ電話が何度もかかってきたことがありました。
私が9歳くらいの頃、
自宅で母の遺書を発見したことがあり
そこには私に宛てて
『いつもゆきのことを感情的に怒ってごめんなさい』と書いてありました。
母は他の人の前では元気に振る舞っていましたが
私は母よりも、母の心の闇を知っていました。
これは私が5歳の頃。
父が母に椅子を投げて
母のあばらが折れたことがありました。
その後も母はあばらを折って
ベッドから起き上がるのが辛そうでした。
でも、母は友人やお客さんの前では
いつも明るく元気に振る舞っていました。
(※母は美容院を経営していました)
母は、余裕がなく情緒不安定でした。
その矛先は私と妹に向かいます。
私はいつも母を心から心配して
自分の不安とか心細さなんかより
『どうやったらママが幸せになれるかな?』
といつも1人で検討し実践していました。
この作業を5歳の時には既に行っていた記憶があります。
(↑そんなことを続けていたら
大人になってからうつ病とかパニックになったわけです)
母はどんなに父に暴力を振るわれても
心ない言葉を投げかけられても
絶対に父を悪く言いませんでした。
母はいつも私と妹に
『パパは頭が良くてすごい人なんだ』
『パパがママの人生を助けてくれたんだ』
と説明しました。
だから私は母の意向に従って
決して父のことを悪く言いませんでした。
でも、本当のところ
私はそうやって、
母に父のことをかばって欲しくなかったです。
暴力を受けたら
『あのジジイ!最低!』と怒って欲しかったし
そうやってパパを褒めないで欲しかったのです。
母の、父に対する評価は歪んでいました。
私の母のとんでもエピソードは
このサイトにもたくさん書かれているので
みなさん、私の母のことを
『やべー奴』と思っていると思います。
実際、やべー奴、です。笑
でも、記事にも全部は書いていないし
私は(そして妹も)
母の素敵なところをたくさん、知っています。
母は美容師として長年働いていましたが
人気だったし腕もいいし
着付けなんかは一流だし
センスもいいし
面白いし明るいし、
それでいてちょっと抜けているし
とっても魅力的な女性なんです。
私はそのことを、この世界中で一番知っているんです。
もし、母が自分のブラックホールと向き合っていたら
母は、その才能をもっと活かして
たくさんの人に愛されて
大きなビジネスをして活躍していたでしょう。
でも、悔しいことに
母はそのブラックホールから逃げ続け
その矛先と八つ当たりは
ほとんど全部、私と妹が担いました。
それはもう、別にいいんです。
私は、もう自分のブラックホールから抜けたから、
そして今、毎日ピョンピョンしながら楽しく生きてるんで
それはいいんです。
だけど、やっぱり悔しいんです。
1人の、輝く才能ある魅力的な女性が
自分の心一つで、あんなにも人生を破綻させてしまうことが
あんなにも才能を無駄遣いする様が、
悔しくて仕方ないんです。
それは繰り返すけど
やっぱり私が母の素晴らしさを一番理解しているからだと思います。
無敵ヒロインになるには
まず、自分の母親と向き合うこと、と
この8年言い続けています。
私たちは皆、
自分のお母さんの素晴らしさを
誰よりも知っています。
だから、本当にびっくりするほど幼い頃から
『お母さんの笑顔のために』尽くしてきたわけです。
そりゃそうです。
みんなのお母さんも、(本当は)とっても魅力的な女の人なんです。
そんな魅力的な人が悲しそうだったり
才能を封印していたり
人生を楽しんでいなかったら
私たちは助けたくなります。
愛しているから、です。
私自身、そうやって尽くして尽くして
愛して愛して
その結果、自分自身を置き去りにしてきました。
私が、毎朝起きて
『よし!今日もセラピストYukiをやろう!』と思えるのは
私の母、という存在がいたからです。
だって、私、とっても悔しかった。
ママはもっと大切にされるべきなのに、
ママはもっといい男の人に愛されるべきなのに、
ママはもっと幸せになっていいのに、
ママはすごい才能があることを知っているのに、
それなのに、自分の素晴らしさに逆らって
どんどん人生を破滅させていく母を見ていることが
信じられないほど、きつかった。
悔しかった。
『なんで?』と何百回も叫びたくなった。
崇高で品格のある美しい女神のような存在が
どんどん崩壊してゾンビみたいにドロドロになる姿に
私は直面したのです。
そのことを、28歳くらいまで
ずっと引きずっていたんです。
だから私は誰よりも
『女の人の素晴らしさ』を知っているし
そこにこだわりたいんです。
自分の才能を封印して、
ブラックホールから逃げ続けて
自分と周囲の人を傷つける女の人には
もう本当にうんざりしているんです。
今、苦しい人、ゾンビになりかけの人も
本当はみんな、品格があって高貴で美しいんです。
私は、
あの頃の母のような人を正気にさせたいし
あの頃の私のような健気な女の子を無くしたい。
健気じゃなくてノビノビと何にも心配しないで生きてほしい。
私がこうやって発信することで
少しずつ、あの頃の母のような女の人が正気に戻って
健気な女の子たちがノビノビ安心できる国になることを
私は強く信じています。
これが私が
『セラピストYuki』
を、やる理由です。
Yuki