指先の綺麗なネイルや
クローゼットに溢れる洋服や
政治家の政治献金ニュースや
東京都知事選に気合満載の百合子や蓮舫。
SNSをひらけば目に飛び込んでくる誰かのキラキラLIFE
そんなものたちで彩られているこの現実世界が
この上なく滑稽で
(現実なのに)現実味がなく
すべてが幼稚園のお遊戯会みたいな、
そんな茶番に感じて
その気持ちを誰かと分かち合いたい瞬間がある。
でもこんな話はなかなか誰も理解してはくれないし
相手を困らせることにもなり
ともすれば『悲観的だ』なんて批判のようなものを受けるので
安易に口にしてはいけない。
同じようなことを19歳の時に
母に言ったこともあるが
『私はそんな難しいことを考えたことがない』
と笑っていた。
この虚しさのような気持ちは
好きな人と結婚をしても
海外に移住してみても
子供を二人産んでみても
仕事で成功してみても
世界中を旅してみても
大恋愛してみて
離婚してみても
相変わらずずっと私の中に湧いてくる。
来年の3月で40歳になる私だが
この感覚は6歳からハッキリ抱いており
子供の時は
『大人になったらこの感覚は消える』
と思い込んでいたが
大人になって欲しいものを手にしてみても
結局その感覚と私は仲良しのままだ。
この虚しさを人を選ばずに話してしまうと
『そんなことより楽しいことしようよ!』と言われ
なんだか
前向きさを強いられているようで苦痛に感じる。
昔の私はこの感覚を持つ自分のことを
『どうでもいいくだらないことを感じているバカな人間でどうしようもない』
とレッテルを貼っていたが
今では
この感覚こそが真理で道しるべなのだろう、
と確信が強まっている。
ハッキリ言うけど
この現実世界はくだらない。
どうでもいいことで人が争い
どうでもいいものを人は追いかけ
老後の資金は2000万だとか
いやいや2000万では足りないとか
本当に笑えるほどくだらない。
その辺のギャグ漫画よりよっぽどくだらない、マジで笑
それがこの現実世界である。
この仕事をしていると
なんだか同業者のキラキラ起業女子が眩しく見えて
あれ?私も月収1000万稼がないといけないんじゃないの?
あれ?私も高級ホテルのラウンジに人集めるべき?
とか思って
なんだか一瞬現実を頑張りたくなって
でも結局そんなもん
私は求めていなくてすぐ辞めるのだが
そんな自分も滑稽すぎて
やはりこの現実世界はくだらない茶番だ、
と思い返すのである。
↑この記事では『現実捨てるな!』と言っていて
今回の記事と矛盾しているように感じるが
この矛盾をそのまま両立させるといい。
先日、海外在住の知人と話していて
その方はイスラム教を信仰されているそうで
『イスラム教では神を恋人のように捉えていて
神と自分が一体化すると願いが叶うと言われています』
と言っていた。
その話を聞いて
『え!それって私が言ってることと似てる!』
と言ったら
『そうなんです、Yukiさんの言ってることは宗教と同じです』
と教えてもらった。
(海外の方なので宗教という言葉に対する感覚は日本人のそれと結構異なります)
神の話をしようじゃないか。
こんなくだらない荒唐無稽な現実世界に必死になって
まともに受け止めていちいち傷ついているなんて
そんな自傷行為やめたらいいのよ。
私が潜在意識と出会って学んで
その次に学んだのが神のことだった。
神について書かれた本を何冊も読んだ。
これも今となっては完全に伏線回収だが
私は幼い頃から宗教に縁があって
小学校はカトリックの学校だった。
毎週土曜日はミサがあって
聖書の授業があった。
だがキリスト教のシスターでもある教師の人格が
あまりイケてなくて尊敬もできなくて
女性なのにいつも鼻毛が出ていて
(↑私は昔からこういうことが非常に気になるのである)
何よりそんなに幸せそうではなかったので
幼い私は
『キリスト教やっても幸せにならない』
と結論づけた。
今思い返せば
そのシスターが聖書の使い方を誤っていただけなのに。
そしてもう少し成長して
私が思春期頃から母がとある新興宗教にハマって
私もそこに通うようになった。
そこは仏教だが
その宗教のマーケティング手法は
『あなたが幸せになるには成仏してない霊を供養しないといけない』
というもので、
一体の霊につき500円!!という
なんとも破格の費用で供養してくれるのである!!
で、自分に憑いている『成仏してない霊』というのを
どうやって発見するかというと
霊能者に見てもらう、のである。
これも1回数千円で破格!!!である。
私はこの霊能者に見てもらうセッションみたいなやつを
数十回受けたが笑
母や妹、母の友達たちは
1回のセッションで1−2体しか霊が憑いていないのに
毎回私だけやたら霊が憑いていて(8体とか。笑)
しかもセッション中になぜか涙も勝手に流れてきて
今思えば、私は霊にモテすぎてマジでウケるし
あの時の涙の流れる感じは不思議だったので
全部が全部インチキだったとは思わない。
そこで供養の手続きをすることで
その人が
『あー、供養したからこれから私ますますハッピーになるかも❤️』
と思えたらそのように現実は動くし
それもある意味潜在意識の活用なのである。
だが私はいくら供養しても
そんな開放感は訪れなかったし
むしろ
『いつになったら霊、いなくなるん??』
『まだおるんか?まだ、おるんか?』
というなんとも途方に暮れた気持ちでいた。
この供養ビジネスは
スピ業界ではびこる、
『ブロックビジネス』と仕組みは同じである。
あなたがお金持ちでないのはお金のブロックあるからですよ〜
ブロック解除せなあきまへんよ〜
というブロックビジネスである。
もはやこれでは
自分で自分の問題を生み出しゴールに辿り着かないようにしているだけであり
そこに熱中している人は未だ多く存在し
ほんとマジ現実ってアホ。
その点、神は、いい。
おまえらのエゴちん全部許すよ!!と(ほぼ)自殺してくれたキリストや
マジでこの世は幻なんで気にすんなよ、とすべての種明かしをしてくれたブッダや
っつーか既にうちら幸せだから好きに生きれば良くない?と体現してくれた親鸞は
私のメンターである。
彼らと同世代に生きて教えを請いたかった。
私はキリストもブッダもイスラム教のアッラーも
同一の存在と思っている
そして私たちが本当の意味で安らかに生きるためには
絶対に神と繋がることは必要なのだ。
でないと
こんなトチ狂った世界で
まともに生きていけないよ。
私が小学5年からハマっていた太宰はトチ狂った世界に耐えられなくて入水自殺したのであり
その選択すら神にゆるされている。
自殺はいけない、
前向きに明るく生きようよ!
というなんの根拠も説得力もない戯言は
もはや誰の耳にも届かないのである。
私は19歳から25歳頃まで
自殺願望強めの時期があったけど
そのことを自分の闇歴史と思っていたこともあったが
むしろそう思って当たり前なのだ、と思うようになった。
私が死にたかったのは家庭環境のせいだと思っていたが
実はそうではなくって
家庭環境で培った寂しさの奥には
『こんなくだらない世界でどうやって生きればいいの?』
という本質すぎる問いがあったのだ。
人はこの問いを得た時に
神と繋がる機会を頂いているから
こんな幸せな問いはないのである。
職場の人間関係とか恋愛の悩みとか
家族の悩みとかお金の悩みとか
人間には色んな悩みがあるけれど
実はすべてまともに取り合う必要はなかった、
と気づいたのが
私の人生にはでかいよね。
それまでグッと目を凝らして監視していた現実を
『あー!くっだらねー!!!!!』
と、まともに取り合うことをやめたら
なぜか現実は自分にとって都合よく回るのである。
で、例え都合よく回ったとて
それすら茶番というか
その現象には本当の価値はなくて
じゃあどこに価値があるかというと
ここで『隣人を愛しなさい』というキリストの言葉が響くのである。
私にとって隣人を愛するとは
まさにこのブログでありセッションであり
みんなで一緒に神の方を見ていようよ!!
と促すことを私はやらされているのである。
すべての仕事は実はそこに繋がっていて
みんな神と一体になりたい、というのが本音の本音の本音である。
みんな救われたいのである。
それは弱さではない。
仕事というのは必ずしもどこかで働くことに限らず
専業主婦だったり
子供の場合は親の養育を受けることも
立派な仕事なのである。
隣人を愛するには自分の心に余裕がないとできない。
そのために感情と向き合い癒すことは必須なのだ。
私たちの苦しみを救ってくれるのは
パートナーでも
子供でも親でも
お金でも
社会の評価でもなく
神、だけだ。
とはいえ、神のことを学び始めた当初の私も
急にいきなり神に身を預けられたわけではない。
(神に身を預ける=スピ業界で言う降参、サレンダー)
当時の私はスマホの待ち受けを
神々しい女神さんの画像に設定して
毎日その存在に自分の身を預けるイメージを育てるようにした。
というか
『ほんとうの私はこっち側』と2度と忘れないよう、
ついつい神と分離したがるエゴちんを説得し続けた。
『Yukiさんのやられていることは宗教と一緒です』
と言ってもらったが
過去に宗教に2度絶望した私、
つまり過去に神に2度絶望した私は
宗教をやりたくてこのブログを運営しているのかもしれない。笑
あー今この記事を書いていて気づいたよ!!!
だってまともないい宗教があれば
才能豊かな太宰治も
これまた大好きな芥川龍之介も
川端康成先生も死ななかったんじゃない???
んで後世さらにもっといい作品をくれたかもしれないじゃん?
ってかこの世のすべての苦しみは
人類が神に勝手に絶望したからだね。
アダムとイブの物語は現在進行中なのである。
宗教の教祖は美人の方が絶対にいい。
だから私は今日も美容に勤しむ。
(これから背な毛の脱毛)
Yuki