お久しぶりです!
引っ越しのバタバタでブログを書かずにいたら
禁断症状が出て、昨夜は6時間しか眠れませんでした!(笑)
(普段は8時間以上は絶対寝ています。)
というわけで、中途半端になっていたシリーズ物を完結させませう★
大人気の“嫁姑問題”について未読の方は
是非こちらから読んでみてください。
実は、上の二つの記事に書いたエピソードは
本当にあった出来事の3分の1しか書いていません。
実際にはもう少し色んな事があり
そして私はブログに書いている以上に“もっと”意見を言わせていただきました。
でも、それはもはや彼女のプライバシーに関わる事なので
これ以上は書かないでおきます。
嫁姑問題の最終編として書きたいことは以下です。
この私のエピソードを読んで、皆さんの中から湧き出てきそうなご質問に勝手に回答していきたいと思います。
というのも私自身、
このエピソードの最中こう思ったのです。
『娑婆(シャバ)の人間は、一体どうやって嫁姑問題に向き合っているのだろう?』
と。
私自身、自分が娑婆から外れた“変わった女”である自覚があります。
(娑婆=常識的な世界のこと。自分の考えよりルールを重んじる、など。)
ですから、ヤフー知恵袋などで娑婆の方々の
『嫁姑問題への向き合い方』を拝見し
勝手に皆さんの疑念を想像し、勝手にそれに回答していきます。
では参りましょう。
ー(勝手に)娑婆の質問コーナー♪ー
- そんな対応をしたら姑が可哀想ではないか?もしくは姑は可哀想な人間だから、ある程度従っておく必要もあるのでは?
- 自分の好きな人(夫)の大切な人(姑)は大切にするべきではないか?もしくは、夫に出会えたのは姑が産んだおかげなので姑に感謝してある程度従うべきではないか?
- 将来、自分の息子の嫁から同じ対応をされたくないから、姑に優しくするべきではないか?
それぞれのご質問に回答していきましょう。
まずはこちら。
1.そんな対応をしたら姑が可哀想ではないか?もしくは姑は可哀想な人間だから、ある程度従っておく必要もあるのでは?
私の大前提として
『この世界には可哀想な人間は一人もいない』
というものがあります。
これは、自分で言うのも何ですがとても大きな愛の形ではありませんか?
容姿が老いているから、と言って可哀想なことはありません。
老人=可哀想。
↑これは老人に対して失礼ではありませんか?
彼らは、ただ単に細胞の新陳代謝が落ちてきて
その結果、シワなどが出来ただけであり
魂は私たちと一緒です。
老人は決して可哀想な存在ではありません。
彼らは強いのです。
そう、私たちと同じように。
また、相手にマウンティングをして攻撃するような性格の持ち主のことを
『あの人は可哀想な人だから(優しくしてあげよう)』という意見もよく聞きます。
しかしこれも本当に失礼ですよね。
このセリフを言い換えると
『あの人は人格的に劣っていて幼稚で、そのことに関して改善する能力もない人間だから
あの人よりは人格的に上である私が大人の対応をしてあげよう』
って、ただのマウンティングごっこになっています。
そうやって、相手によって傷ついた自分を
相手にマウントとることで癒したつもりになっています。
はっきり言ってこのやり方は愛も尊重もなければ馬鹿げています。
2.自分の好きな人(夫)の大切な人(姑)は大切にするべきではないか?もしくは、夫に出会えたのは姑が産んだおかげなので姑に感謝してある程度従うべきではないか?
これは以前、実母にも言われたんですけど。
私は結構マジでこう思っています。
『彼がどんな母親の元から産まれようと私と彼の魂は出会うことを決めていた』
と。
だから彼が誰から産まれようと全く関係ないのです。
よって、『彼を産んでくれた』と彼女(姑)に感謝する必要は皆無です。
そもそも、『私の結婚相手を産んでくださいー』って頼んでないし(笑)
それに彼に出会わなかったとして
私は他のどこかの男性と結婚して幸せに暮らしたでしょう。
3.将来、自分の息子の嫁から同じ対応をされたくないから、姑に優しくするべきではないか?
そんなの、とっくに覚悟はできています。
もし私が息子の妻となった女性に、不快な気分を与えてしまい
そのことで彼女に避けられるのなら
そんな彼女の意思を尊重します。
そしてもし、本当に相手を傷つけることをしてしまったのなら
相手がどんなに年下であろうとしっかり謝罪のできる老女でありたいです。
私の目標です。
息子に対して『味方になって!』とも思いませんし
そもそも息子は私の所有物ではありません。
ですから嫁に『離婚しろ』なんて言語道断。
ずっと家に置いとくつもりもありませんし
大学生、いや高校生くらいからでもとっとと家を出て自活して欲しいのです。
『自分が将来同じことをされたくないから』という理由で
自分を押し殺して、嫌いな姑と付き合っている人をたくさん見かけましたが
(ヤフー知恵袋で)
そんな損得勘定で人と接している時点で気持ちが悪いです。
吐きそう。
そんな生き方をしてたら疑心暗鬼になって
誰も信じられなくなって当たり前。
老けるのも早いし絶対にいいことない。
人間関係とは、魂と魂の触れ合いです。
私が人を見るときは、肩書きでも職業でもなく
その人の『魂』を見ます。
嘘つきは嫌い。支配する人も嫌い。
昔っから、『目ヂカラがある』と言われるのですが
それは私の目が大きいとかそういうことではなく
相手の外見ではなく魂を観ているからかな、と。
『目ヂカラがある』とは綺麗な言い方ですが
実際には多分『目が怖い』ってみんな言いたいんだと思うの(笑)
でもそれも自覚があるのです。
見るんじゃなくて『観ている』から。
偽物は嫌いなのです。
フェイクファーくらいかな。ニセモノでいいのは。
私だけでなく、みんな偽物と本物を判別する視線を持っています。
子供はみんな持っているよね。
だけど『大人な対応』をしているうちに、みんな大人はその視線を忘れていく。
なぜなら、自分に嘘ついているから。
自分を誤魔化しているんだから
他人に誤魔化されて当たり前。
嘘のない目で自分を観て
新しい自分をどんどん発見していくことがすごく楽しい。
今回のエピソードでは久々に激しい憎悪に燃える自分が出てきて
『あのババア、死ねよ』って感じた。
そんな自分を抵抗なく受け入れられた。
ここで『そんなことは思ってはいけない!』と自分に蓋をすると
その攻撃性が暴発して、どっかで誰かにマウンティングしたり
実際に殺人事件とかになる。
だからちゃんと自分の攻撃性も殺人性も、自分で受け入れることが大事。
私たちの本望は他人を攻撃することではないのだから。
どんな自分もマルッと抱くことで、わざわざ外側に暴発しなくて済むのだ。
全部、自己完結。
これにて嫁姑問題は終わりかな!
もう会うことはないしね★
もしどこかで偶然会ったら、死んだ魚のような目で見つめてしまいそう。(笑)
この経験、誰に一番届けたいか?って
実は私の実母なんだ。
母は、昔、嫁姑問題で苦しんだ女性の一人。
(私の父と出会う前の結婚生活の話)
昔の母のような、大好きな女性が苦しみから抜け出せますように。