住んでいるマンションから徒歩150メートルのところに
小さな鍼灸院がある。
私は3ヶ月前にこちらに引っ越してきて
その鍼灸院の前を何度か通ったが
小さなお店で
ドアのカーテンはいつも閉まっているし
ホームページもなかったので
情報が少なくて
なんとなく『うーん、行きづらいな』と感じていた。
だが、私は元々、鍼灸が大好きである。
そして出不精なので
【なんでもなるべく近場で済ませたい】
という思いがある。
それに探しても良さげな鍼灸院が見つからない。
だから(仕方なく)
そこの鍼灸院を訪ねることにした。
***
1回目、電話をすると誰も出なかった。
営業時間内のはずなのに。
2回目、電話をしたら
50-60代くらいの男性に電話がつながった。
営業的要素も一切ない、
淡々と予約を取るその電話を切って
私は後日、その(怪しげな)鍼灸院に行くことになった。
当日、その鍼灸院にたどり着くと
鍼灸院の入っているビルは全体的に緑のカバーで覆われ
外装を工事しているようだった。
カバーに覆われているので
怪しさは増していたが
私はその鍼灸院のドアを少しの勇気を持って
恐る恐る開けた。
私がドアを開けると
ドアに付いているベルが音を立て
玄関の斜め横の椅子に座っている男性が目に入った。
彼がこの店の店主だと思うのだが
私(客)が来たのに席を立とうとせず
『日本人にしては珍しいなぁ』と思いながら
私はこんにちは、と挨拶をした。
彼は自分の前にある別の椅子に座るよう、
私に伝え(この時も座ったまま)
私は指示通り、彼の向かいの椅子に座った。
私が席に着くと彼は
『三浦さん、と言うのね。
はじめまして。
私ね、こう見えて
目がほとんど見えてないんですよ。』
と言った。
彼はもしかしたら65歳くらいなのかもしれないが
肌がとても綺麗で
シワもなく驚くほどツルツルしていた。
それに、とてもも満ち足りて幸せそうな顔をしていた。
『今日はどうしたの?』
と言う彼に、私は
『肩こりが〜…』
など、普段の自分の症状を話す。
鍼灸院でよくある普通の問診が始まったかと思いきや、
彼は私の肩こりの話もそこそこに
『あのね、この本読んでみてよ』
と私に差し出す。
『この本を書いている●●さんね、うちのお客さんなの。』
その本の表紙には女性の名前が書いてる。
『すっごく明るい人なのよ。』
突然の本の紹介に私は驚くも
そのまま本を受け取った。
よく見ると、椅子の横には20冊くらいの本が並んでいるが
彼はどうやって本を読んでいるのだろう?
その後、施術を終えて
帰りのお会計の際に彼は言う。
『私ね、未就学児がいるお母さんからは
三千円しか取らないって決めてるのよ』
三千円とはあまりに破格である。
通常はこの2.5倍は、する。
遠慮する私に
『いいからいいから』
と彼は言う。
『本を返すのもいつでもいいから。』
と。
家についてその本をパラパラっとめくると
その本は、作者と作者のお母さんの葛藤のエッセイだった。
父親はアル中で暴力的で頑固ですぐに暴れて
お母さんはお父さんの横ではいつでもだんまり。
そんな両親の元に育った作者の、
お母さんとの確執の話だった。
確執といっても
全体的に温かく穏やかな本だった。
あの仙人のような鍼灸師さんは
どうして私が母娘問題の研究者だってことを
知っているのだろう?
2回目の施術の際に
私が本を返却し
実は私は母娘問題に関するセッションを行っていることを伝えると
仙人は
『えー!!』と可愛く驚き
私の仕事内容を詳しく聞いてくれた。
で、その日の帰り際も
仙人は
『三千円でいいから』
と言って、それ以上のお金を受け取ってくれなかった。
仙人は
『いつかあなたが本を書いて印税で稼いだ時に
出世払いしてくださよ。ハハハ。』
と言う。
だから、
この仙人はどうして私が本を執筆中だと分かるのだろうか?
私は彼に執筆していることを一言も言っていない。
それなのに彼は、初回の時も
『この●●さんもね、本を出すまで10年かかったんだって。
でも本を出したいと思い続ければ、出せるのよね』
などと、出版に関する話をしていた。
***
2回目の施術の後、
私が鍼灸院を出る間際に
仙人は
『あ、ちょっと待って』
と言って
店の奥に引っ込んだ。
そして手にビニール袋を掲げて
私の元にやってきた。
『これ、子供と食べて。』
そう言って渡されたビニール袋の中を見ると
素麺が2袋、入っていた。
『こっちはね、
私がよく取り寄せている
離島の素麺。
フルーツなんかと食べると
子供は喜ぶのよ』
そう言って仙人は私に素麺を渡す。
私はその仙人の行動から
ものすごく愛を感じた。
仙人は
私が別居中で1人で育児をしているのを知っている。
仙人には私と同世代の娘さんが2人いて、
その娘さんも小さなお子さんを育てているらしい。
私は仙人と過ごすと
『父性愛ってこんな感じなのかな』
と感じる。
仙人は施術中によく喋る。
戦争の話や、原爆の話
近頃の若者は夢がない、
など、とってもよく喋る。
(私が疲れるほどに。笑)
仙人は長崎出身なのだ。
宮城で出会ったタイラさんが前世の母親だとすれば
仙人は前世の父親に違いない。
◆タイラさんの話はこちら↓
仙人と会ってから
私はよく父のことを思い出す。
母に対しては『愛されていない』と感じることが多かった私だが、父からはなぜか愛を感じていた。
父は私に無償の愛を注いでいた。
勉強しろとも言わなかったし
何かをさせることをしなかった。
父の口癖は
・川の近くには行くな
・女の人生は男で決まる
であり、この2点をよく言われた。
まぁでも私は
父の横にいる不幸そうな母を見ていたので
(いや、母は幸せだったのだが。)
父に対して『お前が言うなよ!』と思っていた。
でも基本的に私は父が大好きだったし
トランプ大統領のようなイケイケの言動をする父のことが好きだった。
父はカリスマ性があり話術に長けていた。
父は傷ついたインナーチャイルドを癒せないでいた。
そんなイケイケでかっこつけの父が
心筋梗塞で倒れ
その数年後には脳梗塞で倒れた。
脳梗塞を発症した、その瞬間
父は私の家にいて
(父は当時、何人も側室?がいたので
我が家には週に2回くらいしか来なかった)
私と妹の顔を見て
『お前たちは誰だ?』
と言った。
父はいつも舐めるほど私と妹を愛していたので
その発言は衝撃的だった。
父はすぐに救急車で運ばれ
その後昏睡状態に陥った。
意識が戻るまで何日もかかり
生き延びたのは奇跡的だった。
よく、母と病院に泊まって看病をした。
父の側室が
入れ替わり立ち替わり、チームを組んで父の看病をした。
父は病から復活し
また前のように働き出したが
後遺症が残っていた。
片足を引き摺るように歩き
杖が必要になり
そして一番悲しかったのは
父が失禁をするようになったことだ。
大量失禁ではないのだが
少量だけ漏らしてしまうらしく
父に近寄ると尿の匂いがするようになった。
病気前の父は
高級なスーツでビシッと決め
珊瑚のタイピンをつけるなど、とてもおしゃれな人だった。
センスが良かったし
ちょっと潔癖だった。
プライドが高かったし
いつも強い男であろうと努めていた。
そんな父の尿の匂いが
当時、中学生の私にはとても哀しく受け入れがたいものだった。
ある時、
もうゆっくりとしか歩けなくなった父が
私の部屋の扉を開け
『ゆき、元気にしているか?』
と尋ねた。
私は完全におじいちゃんになった父の姿を見たくなくて
勉強しているふりをして
『うるさい!あっち行って!!』と突っぱねた。
それでも父は
私の言葉もそのまま受け止め
私の机まで歩いてきて
しわくちゃの千円札を渡してきた。
ちょっと前の父なら
私に50万も100万も渡せただろう。
そしてその時も父も
本当は100万円でも1000万円でも私に渡したかっただろう。
でも、おじいちゃんになってしまった父が渡せるお金は
しわくちゃになった千円札だった。
父がお金も体力を失ってしまったことを痛感し
『千円札しか渡せない父』と言う体験を
父にさせることが哀しくて
自分の存在が憎らしくなった。
最近
そんな高校生の自分を、思い出すんだ。
私の夢は色々あるけど
そのうちの一つとして
お父さんが欲しい
と言うものがある。
お母さんも、欲しい。
生きてる時に
お父さんが何人いたっていいよね?
お母さんが何人いても、いいよね?
とにかくそれが私の夢。
そして太郎二郎は
私のパパの孫であることを思い出す。
彼らの中にパパの片鱗を見つけることは容易い。
そして私の中にも。
私はそんな自分が誇りなのである。
Yuki
潜在意識美人®︎Style Owner Yuki です。
36歳丑年,社長,ブロガー,エッセイスト,セラピスト,起業コンサルタント,講師,母,妻(別居中)複雑な家庭に生まれ育ち看護師として働き始めるも25歳頃に鬱状態となる。転職を繰り返し金欠、ダメ恋愛ばかりの人生に絶望していたとき『潜在意識』という概念に出逢う。そこから潜在意識(深層心理)を猛勉強し2015年にセラピストデビュー,その後結婚&ロンドン引越し。セッション回数は1000回を超える。特に恋愛面や生きづらさに対してご好評頂いております。現在は2児の母でエリート夫を置いてロンドンから帰国→別居。世間に流されない『自分だけの幸せ』をモットーに生きてます。株式会社youni代表取締役。
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