私たちは皆、同じように傷ついている。
私たちは皆、一つの傷を分け合っている。
世間のイメージする『母親の愛』って
すごいもてはやされているというか
神格化されているというか
過剰表現されているなぁと思うんです。
『我が子のためなら命を捨てれます!』
とかよく分からんし。
そういうこと言う人って
じゃあ友達のためには命捨てれないの?
って思うんですよ。
『母親の愛とは
他の愛と違って
もっと高尚で自己犠牲的で
他の追随を許さない』
と、みんなイメージしてますけど
それ、勝手なエゴの解釈ではないでしょうか?
そもそも
『愛』に差はあるのでしょうか?
『愛』に種類ああるのでしょうか?
『愛』の量はどうやって量るのでしょうか?
私は我が子のことは愛してるけど
友達より愛している、とか
好きな男より愛している、とか
自分より愛している、とか
そんなこと思わないんです。
私は私の好きな人
みんな同じように愛している。
友達<我が子
でもないし
好きな男<我が子
でもない。
でも世間は
『母親の我が子に対する愛は、
他と比べ物にならないくらいデカい』
と勘違いをしている。
だから『お母さん』と言う立場をやっているだけで
勝手に『我が子にとんでもなく愛を注いでいる人』
として見られるし
(いい人として見られる)
そのように期待される。
世間の
母親に対する圧力は、すごい。
他のお母さんは知らないけど
我が子への愛と
自分が自分へ向ける愛は
おんなじボリュームだし
我が子への愛と
他のみんなへ向ける愛は
おんなじボリュームなんです。
別に、差がない。
だから私は子育てにそこまで打ち込まないし
自己犠牲をしない。
そして今日お伝えしたいのはここからなんですが
『なんで世間は母性愛を過大に評価するのか?』
と思ったんです。
そこまですごいもんじゃないよ、と。
母性愛なんて、
そこらに転がってる愛とおんなじだよ、と私は思うのです。
なぜそんなことを思ったかというと
ふと
『私はどれだけママに期待をしていたんだろう?』
と思ったからなんです。
で、午前中に皿を洗いながらずっと考えていたのです。
そしたら答えが見つかって涙が溢れたのです。
そう、私はこうやっていつも
一人哲学をしては泣いているのです。笑
世間が、私たちが、
母親の愛を過大評価したり
異常に求めるのは
私たちの意識の根底に
『私は孤児(みなしご)だ』
という哀しみがあるからなのです。
私たちはみんな、
母に捨てられたと思っている。
これはどんなに愛情深い母親の元で生まれても
人間なら誰しも知っている感覚のはずです。
私たちはみんな、母に捨てられたと思っている。
ここで言う『母』とは
実際に現実世界に存在する、
私たちの生みの親のことではありません。
私たちはみんな、母に捨てられたと思っている。
ここで言う『母』とは
私たちの魂の故郷です。
母=
源です。
ソースです。
愛です。
つまり私たちの本当のお母さんは
この物理世界での生みの親ではなく
源でありソースであり愛なのです。
神と言ってもいいかもしれない。
これが私たちのお母さんです。
私たちは生まれてくる前は
みんなで一つの魂でした。
この記事を書いているYukiと
この記事を読んでいる貴女も
生まれてくる前はみんな繋がっていて
本当に本当にみんなで一つなんです。
そして私たちが人間として生まれてくることによって
その『みんなで一つ』と言う感覚(愛の感覚)を
忘れてしまいました。
そのため、あたかも別の魂かのように
他人のことを認識していますが
(分離)
本当は私たちは今この瞬間も
みんなで一つなのです。
私の本当のお母さんは源であり神であり愛だし
貴女の本当のお母さんも源であり神であり愛です。
つまり、私と貴女は姉妹兄弟です❤︎
わーい、お姉ちゃんと妹とお兄ちゃんと弟がたくさんだー!!笑
***
で、話を戻しますが
みんなで一つだった私たちが
人間として生まれてきたときに
『みんなで一つ』という感覚を忘れます。
(分離という勘違いのスタート)
この瞬間の私たちの感想を表現してみると
『(みんなで一つだったのに)さみしい!!』
『(みんなで一つで満たされていたのに)
今の私には何か欠けている!』
『(みんなを一つにマルッと抱擁していた)空間から
捨てられた…!!』
なのです。
この
『(みんなを一つにマルッと抱擁していた)空間』
というのが
私たちの故郷であり
私たちのお母さんです。
お母さんの元から飛び出した私たちは
今まで感じたことのない感覚に戸惑い
『寂しい!!』
『捨てられた!!!』
と認識しているのです。
だから世間は
あんなに母性を神格化するのだと思います。
それは、単なる八つ当たりです。
タピオカ騒動があったユッキーナ(シングルマザー)が
彼氏がいるということで
ネットで中傷されているのを見ましたが
母親が、我が子の父親以外の男を愛したら
みんな騒ぐのはどうしてなのでしょうか??
世間の定義する
『母の愛は偉大』という概念は
自分を捨てた母への皮肉であり嫌味であり
その根底には寂しさがあります。
(※本当は、その母は私たちを捨てていないのですが)
で、その寂しさを
この物理世界での母親に被せているわけです。
物理世界の母親たちはたまったものではありません笑
物理世界の母親は
本当の母親(神、源)への恨みを
押し付けられているわけです。
母乳をあげるべきだ!!という声は
その人の本当のお母さん(神)への
ただの反抗期です。
『ママ!なんで私を捨てたのー!』
という反抗期です。
(※繰り返しますが神は私たちを捨てていませんし
今も繋がっています)
子供を傷つけてはいけない!と叫ぶ研究者たちも
ただの反抗期です。
『母の愛は海より深い』とかいうひとも
ただの反抗期です。
母の愛>その他の愛
ではないんですよ。
母の愛=その他の愛
なんです。
母親の愛とは
別に大それたものでもなんでもないのです。
でも世間が母の愛を神格化するので
私たちも
『母親なんだから私をもっと認めるべき!』
と押し付けてしまう。
でも、私たちが母親だと思っているその人は
私たちの姉妹なのですよ。
本当の母親は神だから
神から生まれたおんなじ姉妹。
だからお母さん(生みの親)に期待する必要もない。
(でもお母さんへの感情はちゃんと感じて
期待している自分も見てね!!)
不妊治療を受けている人も
そんなに自分を責めないでください。
自分の子宮から子供を生み出すという経験は
そんなに神々しいもんでもないんですよ。
身も蓋もないことを言いますけどね。笑
お股は裂けますし
臨月になると呼吸が苦しくて
仰向けで眠れないんです。
私は子供が生まれた直後に
抱っこさせてもらいましたけど
そこまで感動もしなかったですよ。笑
そんなことより
『疲れたー!一人にさせてくれー!』と思って
抱っこさせてもらってから
ものの数分で助産師さんに赤ちゃんをベッドに戻すよう頼みましたよ。
それは私に愛が欠けてるということではなく
我が子への愛=友達への愛=好きな男への愛=その他の愛
だからなんですよ。
我が子に向ける愛こそ特別!!だなんて
エゴの作り出した虚構ですよ。
母性愛は特別だ、という
世間に当たり前に定義されている概念なんて
捨てちゃえばいいんです。
母性愛なんて普通ですよ。
だって私たちそのものが
愛から生まれた愛の塊なんだから。
母性愛=日常、なんですよね。
我が子をがんばって愛そう!としているお母さんも
たくさん見かけます。
頑張らなくていいんですよ。
友達を愛するみたいに
フランクに我が子を愛すればいいのです。
ヤッホー!みたいな感じで。笑
そこに一切の差をつける必要はないのです。
そして最後に、
自分はみなしごだと、
深いところで信じている人間のみんなへ。
私たちはみなしごなんかじゃなかったのです…!!
私たちの本当の母(愛/神)は
私たちを捨てていません。
私たちの本当の母は
今この瞬間も静かに私たちを見つめています。
大丈夫、本当はいつも一緒。
自分をみなしごだと定義した私たちは
自分には欠陥がある、と信じてきました。
欠陥がある自分に罪悪感を抱いてきました。
ですが今この瞬間も
私たちは本当の母と密に繋がっているのです。
つまりつまり
私たちには欠陥など無かったのです…!!
罪悪感も必要ないのです。
大丈夫なんです。
過去も未来も永遠に愛されているのです。
だから大丈夫。
何を考えても何をしても何を思っても
私たちは完璧なのです❤︎
Yuki