最近、新規のブログ読者さん増えたので
2017年頃の記事、
めっちゃ大事で基本なので読んで!!
ブラックな感情には
私たちのPOWERが隠されている。
子供の教育にも
Black meワークは有効です。
※Black meワーク
=自分の黒い感情を自分軸に戻すワークで
マインドエステ後半で行っている。
いいんだよ、
誰かを恨んでる感情があっても。
いいんだよ、
自分には価値がないと思っても。
そうそう、子供の教育とBlack meワークについて書く。
この間、我が家でこんなことがありました。
夜ご飯が終わって
歯磨きまでのお遊びタイム。
太郎はその日、二郎とかくれんぼしたかったみたい。
太郎『二郎、何して遊ぶ!?かくれんぼしようか?』
二郎『二郎は、シンカリオンで遊ぶのぉ』
※シンカリオンとは、新幹線がロボットに変形したやつ。笑
太郎は諦めません。
太郎『でもシンカリオンよりかくれんぼの方、楽しいよ!
どうする!?かくれんぼ、する?』
二郎『。。。』(無視してシンカリオンで遊ぶ)
太郎『ねぇ。聞いてるの!?💢』
二郎『。。。』(無視!)
太郎『僕のお話、聞いて!じゃないと、もう二郎は鉄道博物館に行けないからね💢』
二郎『。。。』(ニヤニヤしながら無視。笑)
太郎『もう、僕、二郎のことだーいっ嫌い!』
『二郎ってカッコ悪い!!!』
『保育園でも二郎と遊んであげないからね💢』
(怒りすぎて悔しすぎてウルウル太郎)
二郎『ママぁ。太郎が意地悪した』
太郎『意地悪してない💢💢😡💢(うるうる)』
『僕のお話、ちゃんと聞いて!』
二郎『。。。』
ここでやっと私は重い腰を上げて仲裁に入ってみた。
(あーダリィ、と思いながら笑)
Yuki(おかんバージョン)
登場
私『太郎?太郎はなんでそんなに怒ってると思う?』
太郎『だって二郎が僕を無視した😡😭💢』
私『太郎は二郎とお話したかったんでしょ?』
『お話ししたいのにできないから怒りたくなったんだよね?』
太郎『。。。うん。。。😭』
私『二郎?あのさぁ、太郎はなんで二郎とお話ししたいと思う?』
二郎(は!!ひらめいた💡みたいな表情をして)
『二郎のこと、だいしゅきだから???😲』
私『そうだよ。太郎は二郎が大好きだから一緒に遊びたいんだって。
そうでしょ?太郎?』
太郎『うん。。。あーん😭』
私(太郎二郎可愛すぎて死にそうな体感を感じながら)
『大好きな二郎とお話しできなくて一緒に遊べなくて寂しかったね。まぁそんなこともあるよ。よしよし。』
ハグハグ💓
–数分後–
太郎『二郎、どうする?』
『そろそろ僕と仲直りする?』
二郎『うん!』
太郎『はぁー(溜息)じゃあハグとかする??』
※多分この溜息は私の癖がうつってる😂
二郎『いいよ?』
二人、感動のハグ😂笑
↑作品タイトル
『兄弟愛。
そしておかんの溜息、長男にうつる』
全米が泣いた感動ストーリー
😂😂😂
意地を張ってると、人間、素直になれません。
意地を張ってると、人間、本音が分からない。
こういうとき、人は他人を攻撃したくなったりもしくは自分を責めるのよね。
でもそれじゃあ、Black meワークできない。
せっかくのパワーを取り戻す機会。もったいない。
太郎の本音は
『一緒に遊べなくて哀しい、寂しい』
『二郎、大好き💓』
なのだ。
太郎は二郎に
『もう保育園で遊ばない!』
など、かわいい脅迫をしたが
このような怒りは本音ではない💡
怒りの奥を探ると見えてくるのは
>『一緒に遊べなくて哀しい、寂しい』
『二郎、大好き💓』
体感するのは↑ココ!!!!!
大好きなのに、遊べない。
大好きな人と遊べない寂しさ。
今まで自分の言うこと聞いてきたくせに、最近自我が芽生えて言うこと聞いてくれない弟に対する悔しさ。イラつき。自分の無力感。
これを感じるんだよ〜!!
だから私は太郎が本音を見つけられるよう、誘導してみた。
本音にたどり着いた太郎は
それまでの怒り(強がり)を終えて
『あーん😭』
と、泣いた。
泣いたとき
太郎は本音を体感しただろう💓
本音を感じられたとき
私たちは自分という存在を、まるっと抱擁する。
そして本音を感じられているとき
(体感しているとき)
紛れもなく
私たちはイマココにいる。
マインドフルネス✨である。
私たちが苦しいときは
『今』の自分を蔑ろにしたとき。
体感はもっとも簡単なマインドフルネス✨
もっとも簡単に、魂と繋がる方法✨
このとき
私たちは真っ直ぐ、自分で在れる。
私たちは、真っ直ぐ自分でいられることを
人生で一番、やりたい。
だから自分が感じたことは、全部正解なんだ💡
そして、最後に言わせて。
世の中のママは
みんな最高なママだ。
だからみんな、そんなに頑張らないで?
『私はちゃんと育児できてないかも』
『ちゃんと子供愛せてないかも』
と思考したときは
その奥にある本音を体感して。
『私は子供を愛してる』
『だからこそこの子を幸せにしたい』
『ちゃんと幸せにできてないように感じて、自分のことをダメなママだと思う』
『私は子供を不幸にさせてるのかもしれない』
『こんなかわいい子にとんでもないことをしてるのかもしれない…!』
『あー怖い怖い、不安不安😭』
↑
『子供を愛している』以外のセリフは
全部、錯覚であり幻想なのね。
私たちは愛に溢れたパワフルな存在なの。
それが事実なの。
でもその事実を、私たちは封印したの。
なんのために?
自分はパワフルではなく無力だって経験したいがために。
だから自分はできない、劣ってる、無力って感じる思考は
全部、ぜーんぶ嘘なの!!
でも『これ錯覚ですよ!幻想ですよ!』って
いくら私が言っても
スッキリ納得できないときあるじゃん?
そのときは体感するの。
『これは幻想なんだな』とわかった上で体感するの。
『そうかそうかーこの体感が、人間ゲームってやつか』
『パワフルな私を取り戻したい💓』
と思いながら体感するの。
まぁ体感は、モノによっては
『ウゲー!死ぬー!!』と思うほどきついですが
必ず抜けて、パワー取り戻すんで
そこんとこ、よろしく!!
Yuki