↓この記事の続きのようなそうじゃないような記事を書きます。
ぷはーー!!
しかし、8年ぶりの故郷への帰省は
たくさん自分の感情感覚思考が動いて
おばあちゃんのお墓参りにも行けたし
パパのお墓参りにも行けたし
ひいおばあちゃんのお墓参りにも行けたし
私の人生で最も強烈なキャラ【ママ】の魂にたくさん触れられたし
すっごく良かったな〜。
墓参り中も笑いが止まらない2人。
あんたらはどうしていつもそんなに楽しそうなの?笑
ロンドンから帰ってきてすぐの頃。
2年前のこと。
私と母の関係は最悪でした。笑
↓2年前の記事
でも、そのわだかまりが全部溶けたんだよなぁ⛄️
ある時はママのことを毒親だと罵った。
ずっと恨んでいて
自分の感情を書き出し始めた頃は
ママへの恨みだけでノートを5冊以上使った。
しね!だけでノート1冊埋まる勢いだった😆
そこからママとの関係が良くなった。
それなのに2年前に全部ぶち壊されたような気がして、私は怒っていた。
でも、2年ぶりに会うママはキラキラしてた。
『これ、私の使命かも!』と本人が目をキラキラさせて語る今の仕事は、本当にきっとママの天職なんだろうなって感じた。
使命かも!とか言いつつ
『すっごい忙しくて大変なの〜』
『もう疲れて働きたくないわ〜』
『大変だわ〜でも生活のために働かないと〜』
とママは言う。
そうだそうだ。
彼女はこういう人だった。
本人はしたくてやってることでも必ず『大変なの〜』と言いたい人だった😆
昔の私はいちいちそれをまに受けて
『え!大変なの!?かわいそう!どうしよう!』
『どうしたらママの負担を減らせるかな!』
って、いつも一生懸命考えていた。
物心ついた時から、ずっと、そう。
でも、それすら全部オッケーだった。
すべて完璧とは、まさにこのことか…!
と感じた。
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こんなこと今更認めたくないよ!
と私のココロの一部が叫んでるんだけど笑
私はずっとママに愛されていた。
お腹の中にいた時から
今の今まで、ずーーーっっと愛されていた。
婚外で私と妹を産み
美容院を経営して
たくさん散財して借金もたまにして笑
いつも『大変なの〜』と文句を言って
可哀想なふりをするのが上手で
自由人なくせして教育ママっぽいことをやって
私に成績優秀であることを求める母、だった。
私が大学に行ってからは
なにかタガが外れたように
次から次へと彼氏を作り、
今回青森に帰ったらまた新しい彼氏ができていて
なぜか会わされて挨拶させられることになったけど笑
(彼女といると勝手にストーリが進んでいる。)
うちのママは、あれで完璧なんだ…という驚き。
うちのママは他のママと違うけど、
あれはあれでオッケーなんだよね、と。
昔はあんなに『とっても不幸そう、大変そう、しんどそう、だからなんとかしなきゃ』と見えていたママは、もう私の世界にはいなかった。
今のママは
(本人は絶対認めないけど)とっても幸せで
きっとこれまでもずっと幸せだったんだ…。
妖怪かわいそうの『私、大変なの〜』には騙されてはいけないね。笑
彼らは必死で幸せでいないフリをするからね。
小さい頃からずっと夢だった。
『幸せなママでいてください』
そんな夢を持っていた私は
自分でも驚くほど愛情深いし、優しい。
私は私の中にいる小さな女の子の夢を叶えてあげられて、嬉しい。
今の私にとって
ママという存在は
可哀想な人、でも
幸せになってほしい人、でも
私を散々困らせた人、でも
私をいつも否定してくる人、でもなく
彼女は【単なるエンターテイナー】という位置付けだ😂
なんか、びっくり箱、みたいな。笑
次は何をやらかすんだろう?的な。笑
重たいものが何もくっついていない存在だ。
私の内面が変わったから
外側のママも変わった。
大事なことは
私は決してママを変えようとしなかった。
なんなら完全に諦め切っていた。
だけど、自分の中からどんどん湧き出てくる
彼女への怒りや恨み、否定、非難、批判、
それらを全部解放した。
いじるべきことは、常に外側ではなく内側に、ある。
私はシングルマザーになったことで母の頑張りを知った。
あー、あんな自由人が2人の娘の母親やるなんて、ほんとう頑張ったよなぁ、しかも2人とも大学まで行かせて。と感じるようになった。
私もしっかり母から【自由人】という素質を受け継いでいるので
そんな自由人の母が
私と妹に教育の機会をたくさん与えてくれたことに対して
『めちゃくちゃママ頑張ったんだろうな〜』と感じる。
だって私、太郎に絵本1冊読むのも疲れる時あるもん。笑
太郎に『お勉強したい』とワーク本持ってこられても
『えー、パパとやったら?』とか言うもん。
昔は
あんなに勉強させられて大変だった!
ママは私の成績しか見てなかった!
と怒ってたけど
今の私は、同じ1人の母親として
『ママ、よく頑張ったね。よしよし』って感じである。
もう、過去にされて嫌だったことにめくじら立てて怒ることはやめよう。
今の私は無理なく自然体でそう思えている。
これが人を赦す、ってことなんだな。
あぁ、自分の母親を赦すと
こんなにも母親やることが【軽い】ものになるのね。
今までママを『母親なんだから!』と縛っていた鎖を解き放つことで、
こんなにも私が自由になれるのね。
私は私のまんまで母親をやっていていいのね。
私は好きなように恋愛してときめいていいのね。
私はたまには子供よりも仕事やなんやに夢中になって生きてもいいのね。
私は母親だけど落ち着かなくていいのね。
私はシングルマザーだけど健気に頑張らなくていいのね。
私は我が子に迷惑をかけてもいいのね。
あの人みたいに自由に生きていいのね?
『いいの?本当に大丈夫なの?』
『あとでしっぺ返しが来るかもよ?』
そんなクソ男性性の声が聞こえる。
黙れ。
私はこのまんまで全部を手にしてやる。人にどう見られようとどう思われようと私のまんまで幸せでいてやる。見てろよ、世界。
私は頭の中に湧いてくるクソ男性性に迎合しない。
私は私を信じたい。
願いがあるとしたら、ただ一つ。
私を信じられる私で在りますように。
Yuki