↑この記事の続きです。
太郎が生まれる日の朝
ロンドンは雨だった。
私はヴィクトリアベッカムとメーガンさんと同じ病院で、太郎と二郎を出産した。
出産当日の私
太郎が生まれてからはしばらく
ナニー(ベビーシッター)を雇い
私は産後2週間目から自由に外出できる身となった。
太郎を、当時のナニー、スペに預け
(私たちは彼女のことをスペと呼んでいた)
私は日中カフェで仕事をするわけだが
はっきり言って
カフェに行っても太郎のことが頭から離れなかった。
カフェで
さぁブログを書こう!
と気合を入れようとしても
どこかから赤ちゃんの泣き声が聞こえてくると
私の中のお母さんアラームが発動し
私はすぐさま、その見ず知らずの赤ん坊に駆け寄って抱っこしたい衝動に駆られた。
また、近くの席に赤ちゃんがいると
その赤ちゃんのあまりの可愛さに涙が出そうになったり
頻繁にあった。
自分1人の時間を確保するためのナニーだったが
私は物理的に1人になっても
精神的にはまったく1人になれなかった。
常に赤ちゃんのことが心にあり
常に赤ちゃんのそばにいたいような、
いなければいけないような、
そんな落ち着かない気持ちがあった。
太郎が生後7ヶ月の頃から
ナニーを辞めて
保育園に太郎を預けることにした。
馴れない英語を使って
何軒かの保育園に見学に行き、
私は包容力のある黒人の女性が園長をやっている保育園に
太郎を預けることに決めた。
これまでは
太郎は我が家でナニーと一対一で過ごしていたが
これからは保育園という環境で
集団の中に太郎を預けるという事実に
私はひどく動揺した。
自分で選んで決めたことなのに
なんとなく太郎に悪いことをしているような…
これが本当に太郎にとっていい選択なのか…
1ミリも自信がなかった。
そして、その保育園の太郎のクラスのボスみたいなスタッフが
私の好みではない人で
彼女は体重が150㌔くらいありそうな体格で
毎日おさげ(三つ編み)のヘアスタイルで
そして人種差別の傾向があった。
最初の方はあまり私の話を聞く様子がない彼女が
あるとき私が日本人であることを知ったようで
『日本はとてもナイスな国だ!』と、いきなりフレンドリーになり
日本を褒められたことは嬉しいが
私は彼女のことをさらに信頼できなくなった。
他の2人の若手のスタッフが
彼女にヘコヘコしている様子も気に食わなかった。
だから保育園に預けてからは
太郎が保育園でちゃんと可愛がられているか
適切な保育を受けているのか
あの、おさげ野郎(笑)は太郎に良からぬことをしていないか
すごく気掛かりで
2週間ほど夜は不眠気味だった。
こんなにストレスを抱えるのに
なぜ私が太郎を保育園に預けることを選んだのか?
それは、私は私個人のやりたいこともやりたかったから。
母親としての私ではなく
ただ1人の『みうらゆき』としてやりたいことも、やりたかったから。
そして『赤ちゃんのそばにいなければならない』という、
この本能的な感覚は
一歩間違えれば刃(やいば)になると
知っていたからである。
そんなわけで私は毎日葛藤の気持ちを抱えながら
太郎を手放したくないような感情を
自分からベリベリと剥がしながら
毎朝保育園に太郎を預けた。
巨大な不安と共に。
太郎を保育園に預けたあとは
『ふーーっ』という開放感とともに
ベリベリ剥がした傷口から、じゅくじゅくと滲出液が滲み出ているような
そんな不快感があった。
2週間ほど経った頃だろうか。
ある日、保育園からメールがあり
『彼女はプロフェッショナルとしてふさわしくないので解雇した』
と報告があった。
彼女、とは
あのおさげの彼女である。
やたらと日本贔屓な彼女である。
私はそこで、かなり安心した。
そこからは新しい素敵なスタッフがどんどん増え、
ポーランド出身の素敵な保育士さんや
ヨーロッパのどこかの小さな国の黒髪の繊細そうな優しい保育士さんと出会い
太郎はスクスクと育っていった。
(ちなみに太郎はその黒髪の保育士さんが大好きで、いつもハイハイをして駆け寄っていった)
話は前後するが
これは私が産後1ヶ月の頃だったろうか。
私は妊娠で体重が20キロ増えて
太郎の産後もあまり体重が戻らなかった。
そろそろ体重を戻そうと
当時住んでいたマンションの1階にあるジムに通うことにした。
毎週土曜日の夜に。
最初のうちは
太郎を夫に預けることが不安で
『私がいなくても大丈夫だろうか?』
『太郎がギャン泣きしたら夫はとても困るのではないだろうか?』
と、2人のことがめちゃくちゃ心配で
毎回、走って1階のジムまで行き
ある程度運動を終えると
また慌てて走って部屋に戻ったりしていた。
太郎が不安にならないように
熊のパディントンの小さなぬいぐるみに私の匂いを付け
(というかブラの中に小一時間、そのぬいぐるみを収納して母乳の匂いをつけた)
そのぬいぐるみをジムに行く前に太郎の枕元に
そっと置いたりしていた。
6歳になる今も
太郎はそのパディントンがないと眠れない😂
こうやって私は
産後から
『母親の罪悪感』に取り組んだ。
産後は
全エネルギーをそこに注いだ。
私は罪悪感の言いなりになって
赤ちゃんのそばにずっといることを選ばなかった。
罪悪感は愛と似ている。
だけど、それは、愛ではない。
あのとき、赤ちゃんのそばにいる方がずっと楽だったであろう。
母親が罪悪感に従うのは楽だ。
私は楽ではない方を選んだ。
私は母親もやりたかったし
自分のやりたいことで輝きたかった。
どっちも、やりたかった!!!!
母親が自分の人生を生きるときに
必ず罪悪感と向き合うときが来る。
ここは絶対に避けては通れない。
だが、人間が感じうる感情の中で
もっともキツいのが罪悪感だ…!!
これは断言できる。
だから、多くの人は自分の罪悪感を、見れない。
罪悪感をないことにする。
『私には罪悪感ありません』
と言いたくなる。
こうなってしまったら女性として本当に本当に終わりだと思う。
それは女性としての魅力がない、とか
そういう話ではなく
自分で自分の女性性を殺していることに気が付かなきゃ!!!
女性性=愛
故に、女性は罪悪感を感じやすいの。
当たり前なの。
それでいいの!!
その上で
『罪悪感感じて終わりにすんな!』って私は言いたいの。
その罪悪感を愛に還せ!!って
いっつも言っているの!!!!!!!!
私はロンドンで1人で罪悪感を見つめたよ。
太郎を通してね。
夫は理解のある旦那だったけど
(あ、今年1月に離婚してますが😂)
罪悪感は1人で観るものなの!!
私はね、
母親の罪悪感をベリベリと剥がしていたあの作業が
私の人生で最も大きな仕事だったと思うんだよ。
今振り返ってみても偉業だと思うんだよ。
私の成し遂げたこと。
私はもしかしたら見方によっては
『あまり子供に愛のない母親』に見えるのかもしれない。
※というか当時のブログでそんなコメントをもらったことがある。
子供に毎日可愛い可愛いとくっつくことが愛なのでしょうか?
罪悪感の言いなりになって子供と過ごすことが愛なのでしょうか?
ちがうでしょ???
子どもが『保育園行きたくなーい、ママといるー』と言ったとき
(※二郎がよく言う)
そこで100%子供に合わせることが愛なのでしょうか?
『子どもに寂しい思いをさせてはいけない』
とビクビクすることは愛ではない!!!!
『ある程度さみしくても、まぁ大丈夫』
っていうのが愛であり信頼!!!!
子どもに寂しい思いをさせない子育てをしようだなんて
それこそ罪悪感の言いなり!!!
それは愛ではない。
私は太郎二郎が大切だから
だからこそ本当の愛を注ぎたい。
続き
Yuki