(やっと!)離婚に向けて進み始めました★だぁれも悪くない世界。

お久しぶりで〜す。

先週から
我が子が通う保育園がまたもや休園となり
ほとんどお仕事できずにおりました…。

 

仕方ないので
庭の草刈りをしたり
水遊びをしたり
何とか時間を潰していました。

 

 

 

それと並行して
離婚の準備を進めていました。

 

 

練馬区役所に行って
ひとり親になるとどんな制度があるのか
お話を聞いたり
気になることを相談させてもらいました。

 

区役所の女性が
本当に親身に私の話を聞いてくれて
区役所のみんなが大好きになりました。
(単純。笑)

 

離婚しても
女性も男性も安心して子どもを育てられるように
世の中には色んな仕組みがあり
そういった仕組みをサポートしている公務員の人たちって
本当にすごいな!!と思いました。

 

公務員のクライアントさんが多いので
ここで言っておきます。

 

いつもありがとぉぉぉぉぉーー!!!

 

 

 

 

 

そう、

話は戻るけど
離婚の準備をしていたのです。

 

休園と並行して
離婚準備をしていたので
ブログを書けなかったんです。

 

 

夫と別居して1年3ヶ月。

この間にも何度も夫に
(たぶん5回は言った)
『離婚しよう!』
と言いました。

 

夫はその都度
『環境が落ち着いたら考えよう』
『子供が落ち着いたら考えよう』
と言っていて

なんとなく離婚話しを詰めるのが億劫だった私も
『そっか…』
と伸ばし伸ばしに
ここまで来ました。

 

 

結局、私が離婚に意識が向いていなかったのですよね。

 

 

で、そんな私が
先週スイッチが入りまして
練馬区のひとり親支援課?みたいなところに
相談に行ったわけです。

 

そこでのお話の内容も踏まえて
『うん、離婚しよう』
と思いました。

 

 

もう、この気持ちは揺らがないぞ、
と思いました。

 

 

怒りとか焦りとか
そんなキモチは一切なく
静かに『離婚しよう』と思いました。

 

 

 

これまでは
そうは言っても
『後で後悔したらどうしよう…』
と思っていたし
『私の進む道は正解なのかな?』
って何度も考えました。

 

一番しんどかったのは
『私は夫にひどいことをしてるんじゃないか?』
という罪悪感でした。

 

 

離婚したい私、
離婚したくない夫。

 

 

DVもない、ギャンブルもしない、
お金をたくさん稼いでくる、
いい人。

 

 

 

そんな旦那さんと離婚するのはあなたくらいだよ?

と色んな人に言われました。

 

 

だし、
私もその言葉を自分のものとして
受け取ってしまいました。

 

 

なぜ受け取ってしまったか?というと
私が
『こんなに色々してもらった(もらっている)のに
そんな夫と離婚をしようとする自分はダメだ』
と思っていたからでした。

 

 

 

マンションも買ってもらったし
子どもの面倒も見てくれる、
変なこと(暴力とか暴言とか借金とか浮気とか)をしない。

 

 

そんな夫と離婚を選ぶ私は
まるで犯罪者のように感じていました。

 

 

夫にも
『俺がこんなにしてるのに』
と幾度か言われました。

 

 

 

情に脆い私は
相手の背景や気持ちもよく分かるし
自分がとてつもなく悪い人間で
自分のことをどうしようもない人間に感じたことがありました。

 

 

久々に
罪悪感に苛まれ
罪悪感を自分そのものとして受け取ってしまいました。

 

 

 

今回のことで私は
罪悪感と結びついていると実感しました。

 

 

『これだけしてもらったんだから返さないといけない』
『これだけしてもらったんだから期待に応えないといけない』
『これだけしてもらったんだから相手の意向に従わないといけない』

これを情とするのなら
世間では情が深い人間のことを
『愛情深い』『優しい』と言って
ポジティブに解釈します。

 

 

でも、わたし、思いました。

 

情が深い人間は決して優しくないのだ、と。

 

 

情が深い人間は
『これだけしてもらったから相手に返さなきゃ』
と感じます。

 

これは言い換えると
『私がこれだけやったんだから、
あなたは私に返しなさいよね!!』
という思考を持っていることになります。

 

 

私が私の中に
『私がこれだけやったんだから、
あなたは私に返しなさいよね!!』
という思考があるから

周りの人の
『こんなにいい旦那さんと離婚するのはあなたくらいよ』
という言葉に引っ張られるのです。

そこに罪悪感を抱いてしまう。

 

 

『私がこれだけやったんだから、
あなたは私に返しなさいよね!!』

↑私はこんな思考を持っていたくありません。

 

 

なぜなら
例えば私の愛する子どもに
『私がこんなにお世話したんだから
老後は面倒みてよね!』
なんて絶対に言いたくない。

『これだけ塾に通わせたんだから
絶対に大学受かりなさいよね』とかも
言いたくない。

 

言いたくないし1ミリもそんなことを
彼らに感じさせたくない。

 

 

私は今まで
自分の中の『情に脆い部分』を
長所として認識していました。

だからその部分を手放したくなかったし
これからも情深い自分のままでいよう、
とも思っていました。

 

 

なぜなら
情深い人間=優しい、
と思っていたから。

 

 

 

でも、蓋を開けてみたら

『私がこれだけやったんだから、
あなたは私に返しなさいよね!!』

と思ってるわけだから
全然優しくないわけです。

 

むしろ
優しいフリしたゲス野郎なのです。

 

 

 

じゃあ本当の優しさとは何だろう?
という話になりますが

それは
相手をどこまでも自由にさせること、
だと思いました。

 

 

例えば我が子に対して

私は貴女のお世話を、自らしたくてやっていたよ。

自分がしたくてやっていたから
お返しとか全然いらないし
あなたはあなたの好きに生きて。

私も私も好きに生きてるよ。

 

そうやって言える自分であることが
私は優しさだと思いました。

 

あたいはランチビール

 

 

それに気づいてから
私は情を捨てることにしました。

 

 

きっと世間一般のモノサシで測ったら
わたしは『冷たい人』になる。

ますます世間の流れと違う方向に行っちゃう。笑

だけど、もう、それでいいや、と思いました。

 

 

冷たい人でいいから
私は私にとって
気持ちのいい生き方がしたい。

 

 

そうでないと私はこれからも
自分を責め続けて
相手も責め続けることになります。

そして争いの世界、の完成です。

 

 

どっかの国の戦争を責めてる人がたくさんいるけど
みんな心で戦争してるじゃん、(私も含め)
って思うのです。

 

 

私は
『夫と離婚しようとしている自分』を
『悪い人間』と感じたこともありました。

 

 

でも、ここまできて
やっと冷静に自信を持って思うことは

私は悪くありません。

 

 

だし、

夫も悪くありません。

 

 

誰も悪くありません。

 

 

どっちも悪くありません。

 

 

 

私が
『私は悪い人間だ』と思った時
私の中で
『夫は正しい人間だ』と(無意識に)思っていました。

 

と同時に
『あなただってこういうところがあったじゃない!』
と夫を『悪い人間』に仕立て上げたくなる時もありました。

 

 

これ、暴走した男性性(エゴ)の大好物です❤︎

正悪のゲーム、です。

 

この、どっちかが悪くて
どっちかが正しい、という思考が
本当に本当に私たちを苦しめて
私たちの判断基準を鈍らせるのです。

 

 

誰も悪くないんです。

だから誰も正しくないんです。

 

 

誰も悪くないし
誰も正しくないから
みんな好きにしたらいいのです。

 

 

みんなが好きに生きた時に
やっと本当の意味で自分も周りも大事にできます。

 

 

誰も悪くないし誰も正しくないから
コロナウイルスも悪くありません。笑

(休園が長引いた時に
誰かを悪者にしたくて
私の男性性が暴走しました。笑)

 

コロナウイルスは正しくもありません。

どっちでもないんです。

白でもないし黒でもないんです。

 

そして
暴走した男性性(エゴ)は
どっちも悪くないしどっちも正しくない、
という価値観が大っ嫌いです。

どっちも悪くないしどっちも正しくない、
というグレーの曖昧なぼんやりした状態を
暴走した男性性は嫌います。

 

いや、それは実はグレーに思えて
レインボーカラーなんだけどね。

 

 

人生は白黒ではありません。

人生はレインボーです。

 

 

昔のどこかの記事で書いたけど
セッションには正解はありません。

人のココロとは
算数ではなく国語です。

 

算数は

1+1=2、というように
パキッとした答えが出ます。

 

このパキッとした感覚は
暴走した男性性の大好物です。

みんなパキッとしたいから
どれが正しくてどれが悪いとか
肩書きとかを求めるわけです。

 

 

ですが、
私たちの本質である魂視点で物事を見ると

1+1=2とは限らず

1+1=1であったり
1+1=3であったり
1+1=1487だったりします。

1+1=りんご、
だったりもします。

 

 

正解はありません。

だから不正解はないんです。

 

 

生きていると
『あいつが悪い!!』と言いたくなる時って
あります。

 

人間だもん。
それやりたくて生まれてきてるから
あいつが悪い!!(=正しいのは私)
と言いたくなる時はあります。

 

ですが
あいつが悪い!と言いたくなる時は
私たちは人生に算数や数学を持ち込んでいます。

正解と不正解を探すゲーム、
白と黒を探すゲーム、
をやっています。

 

 

このゲームをやっているときは
私たちは自分を愛することができません。

自分を愛することができないので
他人も愛せませんし
だから他人からも愛されません★

 

ただ、それだけなのです。

 

『私は悪くない!!』と思うことは
とてもいいことだと思います。

これは自分を認める第一歩です。

ただし、大事なことが一つあって
『私が悪くない!!』と言いたい時は
必ず『そして相手も悪くない!!』と言う前提があることを
思い出していてください。

 

 

私は
『どんな貴女も悪くないよ』とか
過去に記事に書いたと思います。

でも、私の言う
『どんな貴女も悪くないよ』とは
その後ろに
『そして相手も悪くないよ』が付きます。

 

どんな貴女も悪くないよ。(そして相手も悪くないよ。)

ということです。

 

↑これに乗っ取っているのであれば
私は人の悪口をどんどん言っていいと思います。

 

私も悪くない、そして相手も悪くない。

その信念の上で、相手の悪口を言うのです。

 

それが感情の昇華、と言います。

 

 

私は悪くない!相手が悪い!という前提で
悪口を言うことは
感情の昇華にはなりません。

争いの世界の始まり始まり、って感じです。

 

 

あ、ちなみに
悪口を言う相手とか場所は選んでくださいね。笑

私は大抵、ノートでやりますけど。

 

 

私は悪くない、そして相手も悪くない、という前提の元
『しねー!!!』とか『ボケーー!!』とか
『お前のせいだー!』と
ノートに書くのは最高です❤︎

 

これが自愛です。

 

 

先週、夫に離婚の話を改めて行いました。

離婚届も家に2部、あります★

夫と話し合った結果
年内には書類を出そう、という方向に
話がまとまっています。

(私はもっと早く離婚届出したいんだけど!!!)

 

離婚話しをした翌日、
家族4人で
二郎の新しい保育園の入園説明会に行きました。

そして、その後
みんなでバーミヤンに行きました^^

久々の家族4人の外出、
私はとても楽しかったです。

離婚を決めた後の家族ご飯は
それはそれは穏やかでした。

 

今後は
夫とは
『子どもたちへの愛』という共通点で
長い期間、繋がっていきます。

 

夫は離婚した後
私が子供を連れてポーンとどっか遠くへ引っ越すことを懸念していました。

私なら、やりそうだよね。笑

夫は子どもと自由に会えなくなることを懸念していました。

 

だから私は
『親権はあなたでいいよ。それなら安心でしょ?』
と言いました。

親権は夫にして
監護権(普段、面倒を見る権利というのかな?)は私になりそうです。

 

日本にはまだ導入されていない共同親権の先駆けになれればいいな、
なんて思っています。

 

 

Yuki

 


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  • コメント: 1

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コメント

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    • S
    • 2022年 3月 09日

    Yukiさんなら、やりそうですね!
    でも、旦那さんへの配慮も忘れないとこ素敵です^_^
    どっちも合わせてゆきさん⭐️

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