早くお金を稼ぎたくって
ママを助けたかった。
手に職を付ければ大丈夫なんだ、と
母のアドバイスに頼って
そのまんま看護師の学校に行った。
17歳の私は
自分で自分の人生を選ぶ心の余裕がなくって
安易に看護師という道を選んだ。
短大生としての
看護学生時代は
あんまり学校に行かなかった。
学校は楽しくないし
校舎が古いのも
実習先である大学病院の雰囲気も嫌で
2年生までマジで私は学校に行かなかった。笑
そんな私がなぜ留年せずに卒業できたか?
というと
私の通っていた短大(3年制)が4年制大学に切り替わるから。
その切り替わるタイミングの学年だったので
私のような学生を留年にさせる=そもそも短大がなくなるので留年できない、
つまり私は一生卒業できない身分になるので
先生たちの気遣いがあって
単位を取らせてもらって卒業できた。
私と同じように留年ギリギリの友達3人と
毎日カラオケに行って遊び呆けていた。
本当に楽しかった。
この仙台の街で人生で一番遊びました!
学校を卒業した後
その地域にある大きめの総合病院に就職した。
糖尿病科とか消化器科、とか
入職時に自分の好きな病棟を希望することができるのだけど
私は『心臓血管外科』を選んだ。
心臓なんて一番苦手な科だし
心電図なんて苦手すぎたのに
私は心臓血管外科を選んだ。
なぜそこを選んだかというと
『ママに褒めて欲しかった』から。
そしてキャリアを積みたかった。
なんか『キャリア』を積めば
かっこいいしお金もたくさん貰えそうだし
『仕事をちゃんとしてる人間』ということで
社会にも男にも受け入れてもらえる、
と20歳の私は考えたんだよ。
社会に評価される『すごい人』になりたかった。
当時の私の精一杯の人生プランだった。
そこの病院の心臓血管外科は
全国から患者さんが集まる名医がいて
テレビでも特集されるほどだった。
だから私はそこで働けると決まって
すごく誇らしい気分だったんだ。
で、いざ入職してみると
その労働環境はあまりに過酷だった。
1ヶ月の残業は100時間を超えるが
残業代は一円も貰えず
朝7時に病院に行って、夜の23時に帰宅していた。
ナース時代の私
先輩たちはみんな誰かの悪口を言って
結婚が決まったある1人の先輩の陰口を言っていた。
『●●さんって、ぶりっ子だよね〜』
とか言って。笑
そこの病棟にはあの名医もいたが
すごく偉そうな態度のチビのおっさんで
彼はみんなから恐れられていた。
もちろん彼は医師からも看護師からもすごく嫌われていて
でも表面上はみんな彼に媚を売っていた。
『なんだこの世界は…』と思ったよね。
彼は名医としてすごく評価されていたけど
奥さんとは別居して高校生の娘は不登校なようだ…
と、休憩室では先輩ナースたちが噂をしていた。
あんなに仕事で命削って
職場でも嫌われているのに
家庭でも嫌われてるってどういうこと!?
と疑問しかなかった。
だが私はなぜかこの名医から可愛がられ
いつも冗談を言ってくれたので
なんだか彼のことが好きだった。
さて、そんな21歳の私は
4月に入職して、そこから7ヶ月後に
ある日、出勤することを辞めた。
→続きを読む頑張ってキャリアを積もうとしたんだけど
どうしても無理で
どうしても頑張れなくて
仕事も全然できないし、
そんな時に失恋をして
『こんなに頑張ってもプライベートでいいことがないんだ』
と絶望して、病院にいくことを辞めた。
何も言わずにいきなり行かなくなることに抵抗があったので
適当に心療内科を受診して
『食欲がなく眠れません』と言ったら
抑鬱状態、と診断書を書いてくれ
それを提出して休職をした。
休職中に青森のおばあちゃんちに帰ったんだけど
そのおばあちゃんちに看護師長さんから何度も電話がかかってきた。
だけど私は面倒だったので
いつも居留守を使って
一度もその電話に出なかった。笑
1ヶ月くらいおばあちゃんちにいたけど
それも飽きてきて仙台に戻った。
そしてその頃に街で声をかけてくれた気の弱そうなおじさんの紹介でキャバクラで働くことになった。
これも仙台!
そう、私は看護師の休職中にキャバクラで働いていたのだ!
↑多分これ、やっちゃいけないことだよね。笑
ずっと看護師長の電話を無視してたけど
『そろそろ病院の電話に出なさい!』
とママに怒られて
(そらそうだ!笑)
やっと私は看護師長の電話を受けて
久々に病院に出向くことにした。
私が休職してから3ヶ月が経過していた。
鬱で休職していたはずの私だが
3ヶ月ぶりに病院に出向いた時には
ボブだった私の髪は
エクステをつけてロングヘアーになっていたから
きっとみんな驚いただろう。笑
病院に出向くと
会議室に通され
そこには看護師長と看護部長がいた。
この50歳くらいの看護部長というのが曲者(くせもの)で
彼女はバリバリ働くことが大好きで
『残業して休日も勉強会に参加してバリバリしましょう!』
という信念を持っている人だった。
看護師長さんは久々に会う私を心配してくれたが
その看護部長さんには
『あなた!電話にも出ないってどういうこと!?』
『みんなが心配してるのにんふざけてるの!?』
とめちゃくちゃ怒鳴られた。
怒鳴られたんだけど
私の心には1ミリも響かず
『はい、すんまへーん』としか思わなかった。笑
その日のうちに職場で退職の手続きをし
私は10ヶ月で総合病院の看護師という肩書を失った。
当時の私は、自分のことを
『社会で頑張れないクズ』
『恥ずかしい人間』『負けた人』
と自分を責めたけど
あのとき、病院をトンズラしたのは
どう考えても正解だったな。
(トンズラって古いね。。。笑)
私はあの職場の先輩ナースたちみたいになりたくなかったし
あの看護部長みたいになりたくなかった。
毎日16時間働いて
休日も勉強会のために出勤するなんて
なんとアホらしい!!!笑
人生の楽しみは他人の悪口と海外旅行!みたいな
そんな人生が怖かったし。
当時はあの環境にどうしても体がついていかなくて
そんな自分はおかしいのかな?と悩んだけれど
私の体がちゃんと私の正解を知っていたんだね。
セッションでキャリアウーマンの方とお話をすると
ほとんどの人がこう言うんだ。
『自分の感覚を殺さないとやってけないんです』と。
『たくさんの同期の女の子は潰れていった。
でもその中で私は歯を食いしばって頑張ってきたんです』と。
色んな働き方がある。
みんな自分の好きなように働けばいい。
だけど私はバリバリはしたくない。
(というかできない)
キャリアなんて、どうでもいい。
自分のホームページを可愛いものや美しいもので埋め尽くして
いつも自分のお店(私の場合はこのホームページ)にときめいていた。
育休中に資格取得とか死んでも無理。
正解!論理!根拠!業績!数字!
それらを優先しないで
(でも無視もしない)
自分の想いを丁寧に手繰り寄せて
それを可愛く美しく可視化したいの。
男社会を好む女性から見たら
『感覚的すぎてよくわからない!』
『考えが甘すぎ!』
『ふざけてる!』『つかみどころがない!』
と思われるだろう私の生き方。
でもいいんです。
『私、もう一生ふざけて生きる』
『一生、ちゃんとしてやらねー!』
と決めたからね。
一生甘ちゃんで生きていくって決めたからね!
一生甘ちゃんでいるために
私は裏でとても頑張っている!
女は男になれないし
男は女になれない。
2023年の社会は
まだまだ男寄り。
そんな社会に文句を言うのではなくって
岸田さんのアンチになるんじゃなくって
私が今ここでちゃんと、ふざけて、ハッピーでいなきゃな。
男社会から見た『おふざけ』は
女の『本気』です。
Yuki
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