■潜在意識と家族関係

【愛≠取り引き】スーパーで苺を買うときに思い出すこと。

税金関係、経済のことには疎い私だけど
この間の、自分の会社の年末調整を
自分でやってみよう!と思った。

 

なんとなく『会社のお金の流れを知りたかった』から。

 

なんだか、最低限の税金制度も知らず
ただただ他人(税理士さん)にお任せするのは
気持ちが悪かった。臭い物に蓋をしてるだけに感じた。

 

税理士さんの動画を見たり
実際に税理士さんに相談したり
国税庁のサイトを見て
ヒィヒィ言いながら年末調整を仕上げた。

 

途中何度も挫けそうになって
子供を寝かせた後も資料とにらめっこをして
マジで涙を流しながら、年末調整を仕上げた。笑

仕上がったときはマジで嬉しかった。

 

 

こうやって会社のお金や
お金に関する国のルールに触れて
私はお金のことを考えていた。

 

私は
『今後どうやってお金を使おう?』
『何にお金を使って、何にお金を使わずにいようか』
『自分を見失ったお金の使い方はしないでいよう』
『お金でどうやってハッピーを感じようか』
と思った。

 

会社を経営していると
実感のない所得税やナントカ税が
たくさん私を通過していく。

 

 

 

 

それこそ『シングルマザーの貧困』の記事を読んだ後に感じたことだ。

今月、私は離婚をする。

 

 

私は、ふと
『太郎と二郎にいつまでも美味しいフルーツを食べさせるためにお金を遣いたい』
と思った。

 

うちの太郎と二郎はフルーツが大好きで
(私も好き)
多分、一般の日本人家庭に比べて
我が家はフルーツ摂取量が多い。

 

今年の冬も
農家から直送のリンゴとみかんを注文して
みんなで毎日美味しく頂いた。

 

朝も夜も、おやつタイムも
太郎二郎はフルーツばかり食べている。

ちなみに二郎は赤ちゃんの頃から
いちごが大好きで
私はこの時期は週に3回はいちごを買っている。

 

 

 

 

お金の使い道を考えたとき
『私がどうしても欲しいもの』ってあんまりないし
仮に我が家が経済的に困窮したとして
私は自分の洋服を買うくらいだったら
喜んで太郎二郎にフルーツを買い続ける。

自然と、そう感じる。

 

あと、太郎二郎が喜ぶ場所にたくさん連れて行きたい。

 

私が一番お金を使いたい所って
『そこ(太郎二郎)』なんだなぁ、
と気付く。

 

 

そして次に私は
自分の欲しいものを我慢して子供に与える、
そんな母の姿を思い出す。

 

母は生まれ育った家庭で
自分の望む教育を与えてもらえなかったから
私と妹の教育にたくさんお金を遣ってくれた。

私立の小学校に可愛い制服を着て6年間通った。

 

もちろん、授業料も給食費も
他の小学校より高かった。

私の生まれ育った家庭は
両親ともに自営業で
お金のアップダウンが激しかった。

 

あるときはすごくお金があって
あるときはすごく貧乏で電気が止まった。

 

だけど母は、
『お金がないからコレを我慢しなさい』
と言うことはしなかったし
どうにか子供のためにお金を捻出しようとしていた。

 

 

私の父は
私の母の他に
たくさんの『事実上の妻』がいて
たくさんの妻との間に
たくさんの子供を産んだ。

 

父は週に2回ほど
我が家に帰ってきて
それ以外の日は、他の妻の家を回っていた。

 

そんな父のことを大好きな母は
いつも父のことを褒めていたし
母が父のことを本当に大好きなことが伝わってきたけれど
私は母が陰で泣いていることも知っていた。

だから私には
父を愛する母の姿が
なんだかとても『かわいそう』に見えた。

 

 

お金のことも父のことも頑張っている母の姿は
私の目には『自己犠牲的』に見えて
いつしか私は
こちらが一方的に与えて見返りがないように見える関係はダメだ、
ただ与えるなんてクソゲー、
と思うようになった。

 

 

母の『他のたくさんの女がいる男を一途に愛する姿』は
私の中で『かわいそう』で『絶対にああなってはならない姿』として刻まれた。

 

でも
そうやって母の生き方を否定することで
私は自分の生き方も否定していた。

 

母の『ただただ与える生き方』を否定した私は
母にただただ与えた、幼い頃の可愛い私を否定した。

 

 

5歳の時の私!

 

 

母は悩むことも多かったから
私や妹に八つ当たりをすることがあった。

母との関係で悔しい思いも
悲しい思いもたくさんしたけれど
でも私はいつだって大好きな母の気持ちを考えていたし
いつも母の幸せを願っていた。

私は母にたくさんの愛を与えてきた。

物心ついた時から。

 

幼い頃の私なりの母への愛情表現は
『自分の意見を言わないで母の求めてる自分になること』
だった。

 

だから勉強を頑張ったし
学校のことで悩み事があっても
母に負担をかけないように
何も言わずに1人で抱えることを選んだ。

そうやって自分の本当の気持ちを表現しない、と言う作業を
子供の時から25歳くらいまでずーっと続けてきて
気づいた頃には、毎日絶望していたし
なんだか自分のことが大嫌いだった。

 

 

確かに自分の気持ちを抑えることで
私は毎日絶望していたんだろうけど

でも、だからと言って
『じゃあお母さんを愛さなきゃ良かったじゃん』
『お母さんにあんなに与えなきゃ良かったじゃん』
『どうせ返ってくる保証がないなら与えなきゃ良かったのに』
と自分で自分に言うのは
なんだか水臭いよね。それこそ趣がない。

 

 

 

でも私は母の生き方を否定することで
そうやって『ただただ与える自分の生き方』も悪しきものとしてしまったんだ。

 

 

 

 

私はこのブログでもセッションでも
『お母さんを捨てよう』と言うけれど
それは
『お母さんにダメ出しをしましょう!』とか
『お母さんを嫌いになって距離を置きましょう!』ということではないんだよ。

 

私の言う『お母さんを捨てよう』は
『お母さんの人生を生きることをやめよう』ということでしかない。

 

でね、お母さんを捨てるにあたって
大事なことは
『自分が今までどれだけお母さんのために頑張ってきたか思い出そう』
『自分が今までどれだけお母さんに愛を捧げてきたか思い出そう』
ということ。

 

 

お母さんから自分の思うような愛が返ってこなくても
こちらがそんだけ美しいものをお母さんに捧げてきたからいいじゃん、
っていう話なんだよ。

 

 

見返りなんてどうでもよくって
『ただただ与える』ということが
私たちが実は一番したいことなんだよ。

で、やり方はどうであれ
お母さんに捧げて捧げて
見返りはなかったかもしれないけど
私たちは『与える』ことをやりたかったから、
それで、いいの。

 

 

自分の気持ちの奥を見てごらん?

『そうすればお母さんに愛されると思って
私はあれも我慢した!これも我慢した!』
で終わりにしないで。

 

お母さんに愛されるという欲求を満たすために何かをした、
という気持ちもあっただろうけど

そもそも私たちはお母さんをめちゃくちゃ愛していた、んだよ。

大好きでたまらない人に
自分なりに色々捧げてきたんだよ。

 

つまり子供の頃の私たちは
『ただただ与える』ということを知っていた。

見返りなく与える、という愛を知っていた。

『与えること』に喜びを感じていた。

 

 

途中から色んな葛藤とかがあって
『与えたから、その分、お返しがほしい』
と見返りを求めるようになったけど

私たちが元々、お母さんに真っ直ぐ捧げてきた
その愛を、私たち自身が一番に評価しなきゃ。

 

 

毎年311になると
私は東北に募金をするけれど
だからと言って
『東北の人、私に感謝しなさい!』
『ちゃんと無駄なく私の募金を適切に使っているでしょうねぇ?』
なんて思わない。

私は自分が募金をした、
それで誰かの生活がちょっと便利になっているかもしれない、
そんな妄想だけでいい、と思う。

要はそういうことだ。

 

 

 

私は母の生き方を
男に対しても
子供に対しても
自己犠牲的だな、そんなのイヤだな、
と思ってきたけれど

そうやって
ただ与えて見返りがない関係って
そんなに頑張って否定するものでないなぁ、
って思ってきた。

 

だって私がこんなに太郎二郎に与えたいからね。

 

母はそうしたくて父と関係を続けた。
母はそうしたくて私と妹を育てた。

 

母は『ただ一方通行で与える』ことを選んだ。

 

その証拠として
母は私たちに
『老後の面倒見てよね!』とか一切言わないし
『ママのことなんて気にせず自由に生きなさい』と、言う。

 

母は父に対しても
陰で泣いたり喧嘩することはあったものの
『こんだけ私が我慢してるんだから、あんたも私のために何かしてよ!』
と言うことはなかった。

 

それはすごいことなのかもしれない。

 

 

私から見て、母が不幸な人に感じたのは
母自身が自分の人生に嫌気が差して子供(私と妹)に八つ当たりするからであって

じゃあなんで母が八つ当たりするくらい苦しかったのか?
というと

母自身が、たまに
『私は自分で選んでこの人生を歩んでいる』ということを忘れたから。

ついつい『お返し』が欲しくなったから。それだけ。

 

 

じゃあ
『お返し』に飢えない自分の心を創ればいい。

 

 

 

だから私はいつでもなるべく
『私は自分でこれを選んできたんだ』
『私は自分のやりたいようにやってるんだ』
って思い出していたいなぁ、と思う。

 

 

たぶん私のことだから
また子供が発熱して保育園を何日も休むと
『1人で看病する私ってなんて悲惨!!』
『これぞシングルマザーの悲劇!日本オワタ』と
発狂すると思うけど

この道を私は選んだ、だからいいじゃん、
って思い出すようにしよう。

 

 

もし太郎二郎のフルーツのために
自分の洋服を我慢する日が来ても
『この道を私は選んだんだからオッケー』ってことにしよう。

それに、フルーツなら田舎に移住すればいつでも食べられる。

 

 

こうやってイチゴを与えたい存在がいることが幸せなんだ、って忘れないようにしよう。

イチゴを食べさせてあげたい、っていう、自然に湧く自分の気持ちが財産なんだって忘れずにいよう。

 

Yuki

 

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