わたしの中の女とわたしの中の男。
違う性質を持った2つが混じり合うことで
この世のすべてのものは繁栄していく。
これを仏教用語では
諸行無常、と言う✨
すべてのことが移り変わり変化していくことは
哀しいことでも虚しいことでもなく
わたしが、世界が、確実に豊かな方へ進んでいる証✨
私は2年前に
ロンドンから子供2人を連れて日本に帰国し別居をすることを決めました。
別居を決めた自分なんだけど
私はしばらくの間、どうしても自分をゆるせませんでした。
『昔はあんなに大好きだったのに
なんで別居したくなるんだろう?』
『私って薄情なのかな?私ってどこかおかしいのかな?』
こうやって自分を責めてウジウジしてたら
別居から離婚成立まで2年、かかりました。笑
※女性性の行き過ぎた特徴である自責をやりまくった。
※部屋の隅でずっと体育座りするくらいの勢いだった。
そのころの太郎二郎
私はこの経験から
『自分の気持ちが変わっていくことをゆるす』
ということを学びました。
※私の男性性がゆるすことを学んだのです。学んだ、というか諦めたというか。
セラピストを始めて、もう9年目か10年目になります。
転職歴の多い私が、一番長く続いている仕事です…!笑
そんな私もいつかセラピストから足を洗って、ひっそり山奥で暮らしているかもしれません。
すべてのことは変化して移り行くから、ね🌹
セラピストを始めてから
ずーーっっと一貫して言ってきたことは
『母親と向き合う』でした。
お母さんの価値観を捨てる、という意味で
『母を捨てる』とか、散々言ってきました。
親との関係と向き合うことで
結婚したり、親と自分を切り離せて自由に生きたり
好きなことを仕事にできたり、と
人生を変えてきた人をたくさん見てきました。
セラピストとなって9年が経過した今、
私は新たなステージに進んだような感覚でいます。
なぜ私たちが親への感情と向き合う必要があるのか、
新たなステージでの私は、はっきり理解しました。
自分の親への感情と向き合うことは
単なる感情解放という意味合いだけでなく
(感情解放だけでも十分なんだけど)
自分の中の女性性と男性性を統合させる儀式、なのです。
私たちの思考はこう考えます。
まず父親と母親がいて、
その時私は世界にいなくて
父親と母親がセックスした事で
私は作られたんだ。
思考はこう考えます。
で、これがまず順番が違うのですね。
本当のところは
まず、私がいます。
その私の世界に父親がいます。
その私の世界に母親がいます。
なのね。
言い方を変えると
私たちは普段父親と認識しているその人は
【父親役をやってくれている人】であり
母親だと認識しているその人は
【母親役をやってくれている人】なのです。
そして!ですよ。
そして、私たちの父親役をやっている人は
私たちの男性性の投影、です。
母親役をやってくれている人は
私たちの女性性の投影、です。
私たちは父親を通して
『男のこんなところがかっこいい!』と感じます。
また反対に母親を通して
『お母さんのこんなところが素敵!』と感じます。
逆も然りです。
私たちは父親を通して
『男のこんなところ、最低!』と感じます。
また反対に母親を通して
『お母さんのこんなところ、最悪!』と感じます。
私たちは両親を通して
男性性のプラスの側面とマイナスの側面、
女性性のプラスの側面とマイナスの側面を見ています。
男性性のプラスの側面だけを見た場合
(男性性のプラスの側面に執着した場合)
私たち女性は、女なのに男性のように生きようとします。
もしくは男性に媚びて愛される生き方をします。
(バリキャリ女と早期寿退社の専業主婦です。)
男性性のマイナスの側面だけを見た場合
私たち女性は、男性不信になり
結婚したら『旦那が全然育児しない!』と怒ってTwitterで愚痴りたくなります。
女性性のプラスの側面だけを見た場合
私たち女性はお母さんのように生きようとします。
そして親離れをしたくなくって自ら結婚を遠ざけます。
いつまでもお城に閉じ込められたラプンツエルです。
女性性のマイナスの側面だけを見た場合
私たち女性はお母さんと反対の生き方をしようとします。
そのために、お父さんと真逆のタイプの男性を選んだり
お母さんが感情的だった場合、感情を出さない女になろうとします。
大事なことは
男性性(お父さん)の
プラスとマイナス、両方を受け入れること。
女性性(お母さん)の
プラスとマイナス、両方を受け入れること。
そのプラスとマイナスは、自分の中にもあるでしょ?
勝手に女性性と男性性に失望することをやめること、です。
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